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【朱黒の鬼模様】第一話「星眼と禍津日」

四月上旬、まだ肌寒さを残した朝の通学路。社会人や学生たちが足早に、あるいはスマホ片手に行き交い、野良犬が寝そべるいつもの日常の始まり……の、はずだった。
「あれ、何?」
一人の少年が異常に気づくまでは。
「いや、野良犬だろ何言ってんだよ?」
(野良犬?あれが?)
少年、青岸工の目にはほかの人間のように小汚い野良犬には見えなかった。油を塗った皮袋に六本の足と六枚の羽が生えているような、名状し難い肉塊がそこにいた。
肉塊がこちらを向いた。目も鼻もないが、多分頭であろう体の先端をこっちに向けたのを見ると、恐怖で吐き気がして思わず走り出していた。
「ん~?どうやら僕の幻術が効かないみたいだね」
肉塊はそう言うと、あごのない穴のような口を開いて粘液を吐き出した。
粘液を付けられた通行人は一瞬で眠り、人形のような動きで青岸を追いかけた。
「たまたま能力を持って生まれただけの素人のようだけど、念のため始末させてもらうよ」
青岸はすぐに操り人形につかまった。助けを求めるように左右を見回すが、正気のはずの通行人もこちらが見えていないように通り過ぎる。
誰も異常に気付いていないのだ。
「誰かーーー!!」
その時である。
人の波を飛び越えて、朱色の鬼娘が現れた。動きやすいように袖はなく裾にスリットの入った紅葉模様の朱色の着物、つややかな黒髪、般若に似た仮面を頭の側面につけ、額に二本の角を生やし、手に薙刀を持った少女が。
「日本鬼子(ひのもとおにこ)!?」
「洗い晒す!」
青岸を拘束する操り人形を朱の鬼、鬼子が薙ぎ払うと、力なく倒れた。しかし傷はない。 自らの人間性を得物の薙刀に乗せて注ぎ込むことで鬼になった人間を正気に戻す、すべての世界で鬼と人間の間に生まれた彼女だけが使える技「洗い晒(さら)し」。その応用で幻術にとらわれた人間を開放したのだ。
「やっと見つけました。『罪の鬼』四罪の渾沌(コントン)、あなたはここで倒す!」
「あーあ、厄介なのが来ちゃったよ」
肉塊、渾沌がそう言うと、妖力を込めた粘液を無差別にまき散らす。次から次へと操り人形を繰り出しながら渾沌は作戦を考える。
(こんなのいくら出しても足止めにしかならないから、何とか隙をついて逃げ出さないと……あれ?)
考えているうちに渾沌はあることに気づく。
(人間性が尽きかけてる……?)
魔性と人間性、幻術と洗い晒し、リソースは違うが互いに精神に干渉する技を扱う者同士相手の技の切れは手に取るようにわかる。
「いいや、終わるのは君だよ」
勝利を確信した渾沌がそう言うと詠唱を始める。
『悪とは何か、悪とは無知である。四罪混沌、無知蒙昧!!』
粘液を逃げようとしていた青岸に向かって吐きかける。最大級の妖力を込めたそれを、日本鬼子がかばって浴びる。
(意識が……)
万全の状態の鬼子ならたとえ全力の幻術であっても触れる前に霧散させられるだろう。だが、長い年月を罪の鬼を洗い晒してきたせいで人間性が枯渇していたのだ。
「鬼である君がなぜ人間性を使えるのか、それは君が人間と鬼の間に生まれた半鬼人だからだ」
「君の心の中には厳重に封印された部分がある。その中にある強い罪悪感は罪の鬼を生み出すほどだ。けれど君は常に自分自身を洗い晒すことで罪の鬼の封印を維持し続けいていた」
「70年前から決めていた。日本鬼子、同じ系統の術を使う君と僕とは最高の仲間になれる」
鬼子の仮面の半分が黒く染まり、体から紅葉が血の河のように流れ出す。ただの紅葉ではない。周りの人間が次々に血を吐いて倒れるほどの呪いだ。だが、呪いの紅葉の河を走ってくる人間がいた。青岸だ。紅葉が流れていない場所を飛び石のように踏むことで呪いを受ける量を最小限に留めている。
「日本さん!!」
なぜそんなことをしたのかわからない。だが、青岸は鬼子の手をつかんでいた。しかし確かに効果はあった。青岸の手から輝くもの、人間性が流れ込み鬼子の手にしみこんでいった。
「……洗い晒す!!」
鬼子が気合とともに黒く染まった仮面の半分と呪いを二人の周りから吹き飛ばす。さらに漏れ出した人間性によって周りの操られた人間も開放された。
「おっと、喜ぶのは早いよ」
そう、渾沌は健在。さらに流れ出た呪いはそのまま残っている。
呪いの紅葉が、黒く染まった仮面に集まって人の形をとった。顔立ちは鬼子に瓜二つ。しかし白目は黒く、瞳は鮮やかな赤、肌は灰色、ゆったりとした中国風の服に蝶の文様が描かれている。
「彼女は日本鬼子のため込んだ呪いが罪の鬼となったもの。この国の災厄の神『禍津日神(まがつひのかみ)』から取って『禍津日鬼子(まがつひおにこ)』と名付けようか」
禍津日鬼子の視線から青岸を守るように鬼子が立ち、薙刀を構える。
「……私のことはマガと呼べ。いちいちフルネームで呼んでいたら長くてかなわん」
マガがそう言うと鍵屋の西洋骨董鍵を模した看板を引きちぎって、仮面を砥石のようにこする。すると鍵が伸び尖り鋭い武器になった。
「さて、やりあおうかもう一人の私『ヒノ』!!」
あわせ鏡のような二人が切りあう。その動きの方は全く同じであった。
マガが上段から円を描くように鍵を振り下ろすと鬼子がそれを逸らし全く同じ動きで切り返す。マガはそれを紙一重で飛びのいてかわし、鍵を横なぎに振るうと同じく鬼子は飛びのいてかわす。互いに相手の同じ場所に突きを同時に繰り出すと、同じ動きで体を逸らしてかわす。
舞うかのような戦いは、永遠に決着がつかないかのように思えた。だが、技術が同じ二人には決定的な違いがあった。
柄と柄をぶつけ合いつばぜり合いをすると思った瞬間、鬼子の薙刀が縮み短刀になる。そして空いた右手がマガの襟首をつかんだ。
「しまった……⁉」
鬼子はそのまま足払いを仕掛けてマガを転倒させる。そのまま短刀を首に向けて振り下ろす。だが、マガは左腕で防いだ。マガは蹴り飛ばそうとしたが、それより早く鬼子は短刀をひねり、抜きながら飛びのいていた。
マガは穴の開いた左腕を見る。
「やはり即席の武器ではダメか……逃げるぞ、幻術を使え!!」
「はいよ!!」
マガの合図とともに鬼子の視界は濃い霧に包まれた。
「あっち!!マンホールに入ろうとしてる!!」
青岸の目には逃げ去る二人の姿が見えていた。だが、鬼子が指示通りマンホールに飛び込んだが、その姿は見えず、足音は複雑に反響し行方が分からなくなっていた。
数キロ離れた駅前の繁華街。傷がふさがりつつある左腕を眺めながらマガが言った。
「さて、反省会を始めるか。今回の敗因は、率直に言ってこちらの装備が貧弱だったことだ。こちらがもっといい武器を持っていたか、もう一人ヒノとやりあえるやつがいれば負けることはなかっただろう」
「まあ、そうだね。幻術で視界を奪おうにも君や鬼子程の使い手なら、音と空気の流れで見えてるのと同じくらい戦えるしね」
「そうだ。だから、必要なのは装備、仲間、そのために組織を立ち上げ、拠点も確保しなければ……先ずは飯だな。腹が減った」
そう言ってマガは古びたラーメン屋を指さす。
「言っとくけどお金ないよ?チャンスが来るまで一人で行動するつもりだったし」
「問題ない。モップはちょっと待っていろ」
「ねえ、モップって僕のこと?」
「そうだ。お前の姿はどこから見てもモップだろうが」
渾沌、もといモップは自分の姿が毛の長い犬のような姿に見えるよう幻術をかけている。その姿がモップに似ているから、そうあだ名をつけた。そして飲食店は普通ペット連れ込み禁止なのだ。 店内に入ったマガを迎えたのは、
「なんだてめえこら!?」「難しい話してんだからはいってくんな!」
カウンターの中にいる老人を派手な服にモヒカンの二人組が詰めていた。
「ラーメン屋にしては斬新な、チンピラとしては使い古された挨拶だな」
そういいながらチンピラの片方に近づく。
「おかしな格好して、ケガしたくなけりゃ消えな」
そう言ってチンピラはマガの肩をつかむ。
「燃やす、散らす、違うな……」
「何とか言ったらどうだ!?」
チンピラはついにマガの顔面を殴る。だが、
「お前阿保だろ」
マガが相手の動きに会わせて頭を少し動かすとチンピラの手に角が深々と突き刺さった。
「い、いてぇ!?」
愕然とするチンピラの懐からサバイバルナイフを抜き取った。
「お探しのものはこれか?」
そのままチンピラの手を切り落としあごの下から脳天まで突き刺す。
「染め出でよ!!」
赤黒いものがナイフを伝ってマガの手に吸い込まれていく。そしてナイフを抜き取ったが、チンピラのあごの下に傷はない。鬼子が洗い晒した時と同じだ。
チンピラの表情がうつろになる。そのまま膝から崩れ落ち、よだれと尿を垂れ流した。
「おぽぽろろれえるすせさでぶでぐふぇ」
「お、おい何言って……」
「じうゆいぇあうぇさぜぁうふぉいきうほ」
「ひ、ひいいぃぃ!!?」
もう一人のチンピラが這う這うの体で逃げ出そうとするのを、マガは後ろ襟をつかんで引き留める。
「相棒とその片手をおいて逃げるつもりか?」
相棒と片手を担いで逃げ出すチンピラをマガは見送る。それと入れ替わりにモップが店内に入ってきた。犬の姿でなく灰色のスーツに長髪無精ひげの青年の姿で。
「今なにしたの?」
「ヒノの『洗い晒し』の逆、人間性を奪って魔性で染め罪の鬼を出現させる技『染め出だし』……だったのだが、器が小さすぎて注ぎ込める魔性も少なく鬼にならなかった」
マガに店主のじいさんが声をかける。
「お前さん、何者だ?」
「私は禍津日鬼子、マガと呼べ。この小汚いのはモップ」
「渾沌だよ」
「見ての通り、本物の鬼だ」
「そうかよ」
じいさんのさっぱりとした態度に、マガは驚く。
「驚かないのかお前は!?」
「鬼なんざ満州でも戦後でも平成になってもいくらでも見てきた。今更角の生えた鬼の一人や二人驚きゃしねえよ」
「……」
鬼子の中で同じ時代を見てきたマガとしても、そのような『人間』はいくらでも見てきた。
「だが、人間と鬼には違いがある」
そう言って、チンピラからいつの間にやら奪っていた財布から十円玉を取り出すと紙のように二つに折った。
「それでもよ、さっきの二人に比べりゃ話ができる分よっぽど人間らしいぜ?」
「……そうか」
「そうだよ。どんなに金やら学歴やら肩書やら持って偉そうにしていても、人間てやつの本性は鬼みてえなもんだ。なら、話の出来る鬼の方がよっぽどいい」
それを聞いたマガは一呼吸すると、どこか晴れやかな顔になっていた。
「人間の本性は鬼、か。じいさん、私を用心棒に雇わないか?さっきのチンピラどもの仲間が来たら守ってやる。その代わり、私たちに住むところを用意してもらおう」
「おう、いいぜ」
そしてラーメン屋『墨谷』がマガの拠点になった。
 
一方そのころ、マンホールから出てきた鬼子に青岸が声をかける。
「見つかった?」
「いいえ、足跡も残さないように逃走していました。『もう一人の自分』と戦うのがこんなに難しいとは思いもしませんでした」
「けど日ノ本さんが無事でよかったよ」
「ありがとうございます、あなたはどういう方ですか?」
「青岸、青岸工です」
「いえ、どちらの組織に所属しているんですか?」
「いえ、ただの高校生です」
改めて手を取る二人。そしてそのまま鬼子は青岸の手をつかんだまま言った。
「なぜ、あんな無茶をしたんですか!」
「えええええ!?」
「『普通のひと』ならあそこで逃げるところでしょう!?死んだらどうするんですか!」
「だって、見捨てられなかったし、あの肉塊が人間性がどうのって言ってたから人間の僕がいれば何とかなると思って」
「だからってそんな危険な……いいですか!今日あったことは全部忘れて二度とこういう事に関わらないでください!!」
『いや、この少年の目は渾沌を倒すのに必要だ』
地の底から響くような低い、けれど女性のそれとわかる声で二人の話に割り込んだのは、鬼子の身に着けている半分になった仮面だった。
「しゃべった!?」
「蓬莱(ホウライ)様、大丈夫ですか!?」
鬼子と青岸はそれぞれ別の理由で驚いた。
『質量は半分になったが、人格はこちらに残った。他の機能にも問題はない。いや、それこそが問題か』
『改めて自己紹介をしよう。この者は日本鬼子。神、妖怪が人間の目から隠れるため移り住んだ地下世界「根の堅州(カダス)国」の使者。私は日本蓬莱。日本鬼子の助言者をしている金属生命体(オリハルコン)だ』
『そして先程戦った犬、いや、少年の言葉を借りるなら肉塊か。あれは「渾沌」、人の罪穢れから生まれた怪物「罪の鬼」の中でもっとも古い「四罪」の最後の一体だ。』
『「四罪」は並みの罪の鬼とは一線を画す能力を持っている。渾沌の場合は人の目を晦まし記憶を書きかえ精神を操る幻術。神々の目さえ欺くほどの使い手だ』
『それに加え渾沌の側に禍津日鬼子が加わりさらに深刻な脅威になった。この国の岩石はすべて私の目となる。その能力を使って怪異の捜索を行ってきた。しかし禍津日鬼子が私の半身を使って探知妨害(ジャミング)を行えばそれもできなくなる。だが青岸少年、お前の「星眼(せいがん)」……幻術に惑わされず、人の心の中を見通す目を使えば渾沌と禍津日鬼子を見つけることができる』
「ですが、彼は一般人ですよ!?」
『だが、渾沌と禍津日鬼子を放置する方が危険だ』
鬼子の抗議をきっぱりと払いのける。
『そもそも鬼子、お前の失態が招いた事態だ。よって、鬼子にはこの少年と協力し、渾沌と禍津日鬼子を討伐することを命じる』
「えええええ!?」
今度は鬼子の叫びが響いた。
『ついでに地上の人間と交流して人間性の補充もしておけ』


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