【貴重】北朝鮮の入国と出国のスタンプ(2回分)の画像【思い出】
数年前に実家で断捨離したときの画像をFacebookさんが教えてくれたので、思わずツイートしてしまった。
「なんで北朝鮮?」みたいなのは、ざっくり書くと、
1回目:お正月公演っていうビッグイベントに参加するために、日本でオーディション受けて合格して2ヶ月あっちで生活した(特記事項としては、金日成に会った)
2回目:高校の修学旅行(特記事項としては、白頭山に登った)
このあたりは、昔ブログに書いた「自己紹介」を読んでいただくと、話が早いかと。
久々に自分の自己紹介を読んだら、笑える一節があった。
フィリピンやマレーシアなどの東南アジア新興国に引っ越した人が停電だのシャワーの水がチョロチョロだのと言っている話を聞くと、「北朝鮮よりはマシだよ」といつも思う。
私がフィリピンでもマレーシアでも、停電しようが断水しようがそれなりにのらりくらりとやっていけるのはまさにこれだな、と思った。
60年代だか70年代だか、帰還事業という名の下、日本から万景峰号に乗ってうっかり北朝鮮に渡ってしまった私の叔父は、二度と日本に帰ることができなくなってしまい、その選択を死ぬまで後悔して最後は酒で体を悪くして死んじゃったそうで、
それと比べたら、ですよ?
自分の意思で行きたい国に行けて、好きな仕事に就けて、食べたいものを食べることができて、自由にインターネットが使えて、日本に帰ろうと思えばいつでも帰れるわけで、幸せだなぁと思うんだよね。
(なので、移住先の文句ばかり言う人にはあまり共感できない。。。)
祖母は生前、この叔父に会いに何度か北朝鮮を旅行したことがある。
これは帰還事業じゃなくて、旅行ね、ちゃんと行き来できる系の。
何度目かのとき、最終日、祖母があっちから日本に帰る船に乗ろうとしたら、叔父が、、、いい年したオッサンですよ、、、号泣しながら祖母に抱きついて「俺も連れてってくれ」って叫んだらしいんだよね。確か母からこの話を聞かされたのは、その叔父が亡くなって半年くらいたったあと。息子との今生の別れがこんなだなんてイヤだなー。
※私や祖母が行き来できて、叔父が二度と日本に帰ってこれない云々って、あまり事情を知らない人には謎かもしれないけど、
・60年代か70年代に帰還事業で行っちゃった人は片道切符
・帰還事業ではなく、旅行で行った人→ちゃんと日本に戻ってこれる
って感じでご理解ください。
はー、なんか、話が暗くなっちゃったね。最後に、普通の人はなかなかお目にかかれない北朝鮮関係のネタを2つ投下しとくよ。
それでは、今日はこのヘンで。