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Icemanにとらわれた、とあるDAクラスターの話①
DAクラスターという言葉をご存知だろうか?
この言葉はアーティスト浅倉大介のファンを総称して、Twitterなどで主に呼ばれている言い方である。
私は根っからのDAクラスターだ。
そして実は言うと、つい最近までアククラ(accessクラスター)ではなかった。
決してボーカルのヒロが嫌いだった、ということではない。
断じてない。それだけは本っ当に心の底から言っておきたい。
私の中で様々な感情が混じり合い複雑化した結果、こうなってしまったのである。
しかし2019年の夏、私は様々な呪縛から解放されて新生DAクラスターとして蘇り、同時にようやく心からaccessを好きになることが出来た。
浅倉大介が好きなのに、何故、彼の音楽活動のメインとなるaccessを長年受け入れることが出来なかったのか。
現在の心境に至るまで、とても長い道のりがあった。
何度も葛藤を繰り返し、そしてようやく今へと辿り着くことができた。
大体タイトルでわかる人はお察しいただけるかと思うが、私の長年の熱狂的…という程でもないDAソロ追いかけの思い出と共に、現在にどう心境が変わっていったのかお話していこう。
このnoteは20年以上の月日を、計4回に渡って語っていく壮大なエッセイである。
※予告しておくと、最後までなかなかaccessを受け入れられないという葛藤のお話なので、accessに対する否定的な意見を見たくないという場合はあんまりお薦め出来ない書き物です。ご了承ください。(もちろん最終的にはハッピーエンド)
私とaccessの出会い
私がaccessという存在を初めて認識したのは、某夏と冬に行われる一大イベントのカタログである。
残念ながら、音楽が先ではない。
2020年2月のニコ生特番でご本人たちから生電話をするというコーナーがあったのだが、「accessとの初めての出会いはなんですか?」という質問があり、自分がもし…と考えた時に、まさか「コ○ケのカタログです」とは言えない、とちょっと切ない思いで見ていた。
私が知った当時はすでにaccessは休止していたのだが、それはもう界隈の盛り上がりっぷりは半端なく、カタログの数ページに渡って「AXS」の文字が並んでいたのが印象的だった。
元々、私はゲームやアニメが好きで芸能は全く疎かったのだが、こんなにも界隈を賑わす「AXS」とはどんな人たちなのだろうか?という興味から始まった。
それが、まさか20年を超える付き合いになるとは思いもしなかったが。
最初に聞いたのは1期のシングルベスト「AXS SINGLE TRACKS」だ。
それまでゲーム音楽のサントラやアニソン・キャラソンなどを聞いていた為、打ち込みの音楽には馴染みがあり、accessの曲は何の違和感もなく私の心にスッと入ってきた。
そこから転げ落ちるようにaccessにハマっていった。
学校で話をしたら先輩がファンだったらしく、持っていたCDを全て譲ってくれた。お金のない学生にとっては大変ありがたいことだ。
多分、休止で気落ちしてしまったのだろう。文化放送のラジオ番組を全部カセットに取っていたくらいのファンだったのに……。今も元気にしているだろうか、あの先輩は。顔も名前も覚えていないけど(すまん)
ちなみにその時もらったカセットはかさ張るなどの理由により捨ててしまった。捨てた当時の自分を死ぬほど殴りたい。
でもその他のもらった全シングルとアルバムは、今でも私の大切な宝物だ。
そんなこんなでaccessが活動を休止してからハマってしまった私は、一つの問題にたどり着く。
私はヒロと大ちゃん、どっちが好きなんだ?問題
accessの曲は大好きだ。でもそれは、ヒロが歌うから好きなのか、大ちゃんが作ったから好きなのかがわからなかった。
accessが好きでも現状、残念ながら先はない。
新しい曲を聞いていくにあたり、どちらかを選択しなければならない、という発想に至る。
両方追いかければいいではないか、と思われるかもしれないが、私は基本的に好きなものをあっちもこっちもと出来るタイプではなく、割と猪突猛進に妄信するタイプなので、その時はナチュラルに両方追いかけるという考えが浮かばなかった。
ちょうどいいタイミングで大ちゃんが新しいユニット「Iceman」を始めるという情報を知り、Icemanのデビューシングルとヒロの1stアルバム「SUN」を聞いてどちらを追いかけるか決めようと思いたった。
ヒロの「SUN」も決して悪かったわけではない。
未だに印象に残っているくらい「Get SUN」や「目を覚ませ」は大好きだ。
…でも。
Icemanは別格だった。
シングルA面の「DARK HALF〜TOUCH YOUR DARKNESS」は好きだったが、そこまでハマるほどではなかった。
私の人生を狂わせたのは、カップリングの「WHAT'S WRONG?」だ。
accessの時は坂道を転がるようにハマっていったのが、今回のハマり方はそんな真綿で首を締めるような、ジワジワとしたもんじゃあない。
正に、青天の霹靂。
イントロを聞いただけで「はーーーーーぁっ!!しゅっきぃぃぃぃーーーーー!!!!」と、即堕ち2コマした。
切ない感じのちょっとマイナー調の曲、シングルには絶対にならない曲調、不思議な浮遊感。
黒田くんが初めて作詞に挑戦し苦戦したらしいが、素敵な歌詞も大好きだ。あのふわふわしたような心地のいいメロディに「ワンダー」という言葉がとてもファンタジックでいい。
そして「奇跡はきっと 側にある」。今も大好きな言葉だ。
今までの人生で聞いてきたどの曲とも違う、accessでもない、それはまさに新しく浅倉大介が描いた『Iceman』としての曲だった。
もう私にはIcemanしかないと思った。
私が求めていたものは、浅倉大介だった、と確信したのだ。
Icemanとの思い出
学生なのでそんなに頻繁には行けなかったが、何とか親を説き伏せ、東京近郊のライブにちょこちょこと行っていた。
浅倉大介が関わるライブはとても派手で、ある種のショーだ。そこはやはり本人が「ディズニー」好きということもあったのだろう。
歌や曲だけではなく、照明や舞台装置などありとあらゆる仕掛けで楽しませてくれる、そんなライブが大好きで私はどんどんIcemanにのめり込んでいった。
人生初めてのライブは、1997年5月のライブ「POWER SCALE」グリーンホール相模大野だ。
「キーボードは叩くものだった…」という謎の感想だけ何となく覚えている。シンセドラムソロでも見たのだろうか?(セットリストがわからない為、確信はないのだが)
キーボードという本来、音階を出す楽器のはずなのに、鍵盤でドラムをひたすら叩くのである。意味がわからない。
初めて見たアーティストのライブでいきなりとんでもない洗礼を受け、常識を打ち砕かれた瞬間を味わっていたようだ。
1997年11月のライブ「Club Cruising Winter Party」の会場Shibuya O-EAST(昔は渋谷ON AIR EASTという名だった。ネーミングライツで変わったらしい)は、渋谷のちょっとHなホテル街に囲まれた中にあるライブ会場で、多感な女子高生にはちょっとドキドキものの道中だった。
入場の際に手の甲にスタンプを押され、黒い布のトンネルをくぐるのだが、中の蛍光灯でそのスタンプが光るようになっていたのが何ともにくい演出だ。
トンネルをくぐった先のステージを見て、これからどんなことが始まるのだろうと、ドキドキワクワクしたことは今でも思い出すことが出来る。
一つ前のライブ「POWER SCALE」で見られなかった念願の「WHAT'S WRONG?」を初めてライブで聞くことが出来て、それはもうテンションが上がりまくった。あの時のアレンジをいつの日か再び聞けないだろうか、と本当に何年もの間、願い続けていることだ。
そして忘れもしない。1999年2月 横浜アリーナの「DA's Special Valentine Party!」が最大の思い出だ。
私の数少ないライブ人生に於いて、あれ程の神席はない。横浜アリーナという大きい会場で、私は1桁列のセンターという神席だった。
Iceman登場直前、横浜アリーナの天井からぶら下がる複数のビジョンに、その日全席に配られた限定CD「CRAZY JET」のMVが映し出されると、気分は最高潮に!未だにアリーナ全体に響き渡る「CRAZY JET」のイントロ音や歓声をはっきり思い出すことが出来る。
このライブでも大好きな「WHAT'S WRONG?」が聞けて、私は涙が出るほど嬉しかった。「Club Cruising Winter Party」の時よりもダイナミックに動き回るボーカル黒田くんは、それはもうカッコよかった……!
もう本当にキャーキャー喉が枯れんばかりに叫び、歌い、踊り、人生で一番最高に楽しかった思い出のライブだ。
そして、このライブが彼らの活動期間中、生で見た最後のIcemanとなった────。
突然のIcemanとの別れ
「DA's Special Valentine Party!」を最後に私は学業が忙しくなったので、ライブに行けなくなった。
1999年、Icemanは大きな方向転換をし、シングルを出さず全曲新曲で世紀末を題材としたGATEシリーズと呼ばれるアルバム3部作をリリースする。
赤の「GATE II」は死ぬほど聞いた。
出戻った時にこのCDだけ中身が無くなっていたくらい聞いていた。
黒の「GATE I」も結構好きだ。
でも、ちょっと「ん?」と思い始める。
ここでリミックスアルバム「gate out」がはさまる。
J-Popとは思えない原曲が跡形もないディープなアレンジの数々で、今でも何度も聞く大好きなリミックスアルバムだ。
そして、最後に白の「GATE // white」。
ここで私は完全に拒否反応を起こした。
私が好きなIcemanは、大ちゃんがサイバーでカッコいい曲を作り、何だかよく意味がわからないけどちょっと変わった世界観の伊藤くんの歌詞、そしてそれを歌で表現する黒田くんのボーカルあってのものだった。
黒田くんのボーカルが無さすぎる…、と当時は感じた。
実際に黒田くんのボーカル曲は、GATEが進む毎に徐々に減っていた。
しかも白の内の1曲「Genetic Bomb」は、3人ボーカルなので黒田くんが歌う部分は少ない。
思い返すと多分、「Genetic Bomb」で不満が爆発したと思う。
今聞くと、この曲は実によく出来ていてaccessの「24sync」に通づる、3つのパートが全然違う雰囲気なのに見事に1曲にまとまっているすごい曲だ。
でも、メインボーカルである黒田くんがサビと思われる部分にいないのはどういうことなのか。
別に伊藤くんボーカルを否定しているわけではない。
メインは黒田くんであって欲しかった。ただそれだけだ。
まぁ、そんなものはファンの単なるわがままなのだが……。
「GATE // white」によって、私は大ちゃんに小さな不信感が芽生えてしまった。
どうしてこうなった。
どうして黒田くんのボーカルを減らしてしまったのだ。
でもきっと次のアルバムは、黒田くんのカッコいいボーカル曲がいっぱい来るに違いない。
そう信じていた。
なのに。
2000年3月、私に突きつけられたのはIceman活動休止の連絡だった。
最低の卒業祝いだった。
accessへのしっくりこない感
大好きだったIcemanが急に終わってしまい、活動が活発になった「Mad Soldiers」に素直に言うと、静かに怒りを感じていた。
Icemanは終わってしまったのに何故2人は仲良くやっているのだ?黒田くんを嫌いになったから追い出したのか???と、よくわからない逆恨みをしていた。
音楽雑誌も見ない、大ちゃん個人のファンクラブにも入ってない、ラジオも聞けない私に与えられた情報は、Icemanファンクラブ会報からの急な休止宣言のみだったので、ただただわけがわからなかった。
終わろう、と思った。
大ちゃんが好きだったけど、もう何も信じられなくなった。
そこからしばらく、大ちゃんから離れる日々が続く。
そこに飛び込んできたのが、2001年12月のaccess再開のニュースだ。
正直なところ、複雑な思いでそのニュースを見ていた。Iceman再開が絶望的になったと思ったからだ。
かつてはあんなに好きだったaccessなのに、私の心はすっかりIcemanにとらわれてしまった。
でも、もしかしたら初めてIcemanを聞いた時のように、心がときめくかもしれない。その可能性を信じて、シングル「Only the love survive」と「EDGE」、アルバム「CROSSBRIDGE」を買った。
曲は好きだったし、繰り返し聞いてた。でも何か…Icemanの時のような圧倒的な『好き』という情熱が湧いてこない。
複雑な感情が何かブレーキのようなものをかけているようだった。
私は当時からひねくれ者だったから(IcemanのGATEに影響されたのもあるけど)、accessが目指す『キラキラ!ポップ!』な明るい世界は、なんか違う!ってなってしまった。Icemanのあの無機質でクールでサイバーな雰囲気が好きだったのだ。
私が好きなちょっとマニアックな浅倉大介は、accessからは感じることができなかった。
改めて冷静に考えてみると浅倉大介という同じ人間が作った曲のはずなのに、曲調をガラリと変化させ歌う人間や歌詞で感じさせる世界をこんなにも変えてしまうのは割ととんでもない才能だと思うのだが、そんな達観したことは若かった当時の私には考えられず、私はそっとaccessを追うことをやめてしまった。
── 悔しいけど、やっぱ好き
音楽雑誌を見ない上、ファンクラブにも入っていない私が、2002年11月の浅倉大介ソロライブ「21st Fortune 〜beautiful symphony〜」を知ることが出来たのは何故かわからない。少なくとも今みたいにTwitterなどで気軽に情報を仕入れることが出来る時代ではなかった。
この国際フォーラムのソロライブは前年の2001年に4つの季節ごとのライブを終え、21st Fortuneライブシリーズ最後の総決算的なライブだった。
accessを追うことを諦めてしまい、このライブのチケットを取ったのは半ば惰性だった。もうダメだ、もうダメだ、と思いながらも、それでももしかしたら…と、ズルズル大ちゃんへの未練を引きずっていた。
Iceman休止で初めて参加したDAソロライブだったが、最初はどこか冷めた気持ちで見ていた。熱量がIcemanの時ほどなかったということと、もう一つ理由がある。
それは、私は基本的にライブであまり騒げるタイプではない、ということだ。
親はライブで騒いで盛り上がることに、どちらかというと冷ややかなタイプだった。そういう親の言葉をよく聞いていたので、別に誰が見ているわけでもないのだが何となく恥ずかしいという気持ちがあって、常に冷静を保とうとしてしまう。
でも、どうしようもなく好きな曲が来るとタガが外れたように、その照れが消し飛ぶ。もう心の中がパアアァァーーーッ!と晴れ渡り、後はもう夢中で楽しい時間になる。
それはライブの中で一番、最高な瞬間だ。
ソロライブでの話に戻ろう。
あまり突っ立っているのも失礼かなと思い、何となくリズムに合わせて小さく体を揺らすくらいで見ていた私だったが、しばらく聞いていくうちに「ああ、やっぱり、私は大ちゃんが好きなんだ…」と、どうしようもない気持ちで溢れていった。
Icemanの突然の終了で裏切られた気持ちでいっぱいだったのに、シンセを弾きまくる大ちゃんはやっぱりカッコよかった。
個人的な嗜好としてインストの方が好きというのもあったとは思うが、ソロはaccessと違って、あまり売れ線を意識せず好きに自由に作っていてマニアックな曲が多いと感じた。私が好きだったIcemanの浅倉大介の片鱗が見えた気がしたのだ。
そうして心が盛り上がってきた所で、あの瞬間が訪れる。
照れが消し飛ぶ瞬間だ。
それはアルバム「21st Fotune」に収録された「ride on free」という曲だった。
ダークでクールで無機質さを感じさせる中の、ちょっとした妖艶さ。
何とも言えないグルーヴ感。
直球どストレートにもろ好み、としか言いようがないほど私の好きな曲調だ。
個人的には当時、あまり大ちゃんのボーカルに好意的ではなかったのだが(笑)、この曲はなんかもう今までゴチャゴチャと考えていた自分がアホらしく思えるくらい、死ぬほど好きだった。
後はもうテンション上がりっぱなしで、ただただひたすら楽しい時間でライブは終わった。
悔しい。本当に悔しいけれど……
やっぱり私は、浅倉大介が好きなのだと痛感した。
私の「好き」はそう簡単に手放せるものではなかった。
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