エッセイとして:「君たちはどう生きるのか」のレビューを見て
「街のあかり」という映画、好き。フィンランドの名監督の作品だけど、まぁ、マイナーな作品。「イル・ポスティーノ」も好きだったな。自分が青春という時代に母親を失ったこともあるのだろうが正統派の作品よりもどこかに影があるような作品のほうが共感持つことが多かったように思う。まぁ、その反動で時代劇やヒーローものも好きになる時期はありましたが。
「君たちはどう生きるのか」の批評、レビュー、賛否両論あるだろうと思っていたがyahooのレビューをみるとわからないという意見が多いのは個人的には意外だった。「街のあかり」、「イル・ポスティーノ」なんかのほうが個人的にはわからないところは多かった。まぁ2つとも外国の作品でその国の文化も影響するわけでそういうとこで共感できないということもあった。わからないけど、面白い、好きというのは成立すると個人的には思ってはいます。そしてその2つの作品の時代にも情報化社会といわれていたと思うけど、現代はより情報化になり、逆に言えば情報が氾濫しているようにも思う。ネット、SNSを使えば情報は瞬時に多くの情報が手に入る。ただこの情報は玉石混交、正しい情報、間違った情報、浅い情報、深い情報、様々だ。自分の若い時代、1990年代後半からネットというのが出てきて、最初は徐々に、そして一気に広まった。かろうじて、アナログといえばいいか、少し前の時代の情報への価値観というのは多少持っている。ネットがなければ、世の中のことはTVや新聞からの情報が大事。地方だと特に情報は多くはないし、新聞号外なんかも珍しい。今はどこにいても、ネットが繋がれば見たいニュースが手に入る。
昨年だったか、音楽のサブスクに対し、ミュージシャンの方が問題提起をしたことが話題になった。時代が変わるというのはほとんどが良いものに、進化しているとは思う。しかし、視点を変えてみた場合、そうではないこともあって、進化を否定するのではなく、よりよい進化のために本質を意識することは非常に大切だと思う。
「君たちはどう生きるのか」の難解さとは何なのか?個人的には何となくは理解した。わからないと言っている人は自分とは違うのか?とも思ったがもしかしたら「街のあかり」などの難解な作品を今まで見た経験もあったし、日本の作品、昔の作品はそういう作品もあって、慣れていただけかもしれない。
また知識がある、なしがこのような作品の共感に関係するのか?というのは自分の友人の経験からすれば関係しないように思う。自分の友人、バイトの同僚だった人だが中卒で勉強が好きなタイプではなかった。ただ恋人の影響もあって、芸術や小説に興味を持ち、「罪と罰」についてとても深い感銘を受けていた。自分も「罪と罰」を読んだことはあるものの何度か挫折して、なんとか読んだ、という人間なのでそこまで深く内容に共感できることは凄いなと思ったし、単純に作品の感銘、共感というのは頭の良し悪しで決まるものではないと思ったことがあった。
現代というのをある程度生きた人間からみると子供の時の文化、感覚と今という時代には大きな違いはあるように感じる。特に情報に関わるものに対して(それは動画なども含めて)。幼少期、小学校低学年の時、親が共働きだったこともあるが一人で家にいることもあって、TVゲームもない。自分の頭の中でいろんな想像をしながら遊ぶということも多かった。今は便利でTVもサブスクに入ればいろいろ見れる。スマホもゲームもいろいろある。それは良いことで否定をすべきことではない。しかし、違う視点、本質というのは忘れてはいけない。情報というものがあふれていると表面的なものだけを追うことで精一杯になってしまうのではないか?と思ってしまう。しかし、何事も表面だけでなく、内面というのが存在しているし、作品だけでなく、人間・人間関係というのは内面のほうが大事なように思う、古い人間だから。情報化というのもあるし、資本主義的な価値観というのもあるだろう、SNSなんかも内面よりも表面的なことが注目されるように感じる。
倫理や哲学の時代が来る、近年、そのようなことは言われていた。
今でもwikiには多くの情報、知識があって、更に今後は生成AIも成長して、より多くの知識が手軽に扱う時代が来るかもしれない。そうなると人間の価値とすると知識の多さではなく、思考や精神などの部分になってくるようにも思う。AIの記事でよく言及しているが生成AI、いい生成AIにするためにも、そのAIにいるためにも倫理というのは高いほうがよくなるだろう。
そして個人的に思うの倫理とか哲学というのは、知識もある程度は必要になってくるが自分の友人の「罪と罰」の話ではないが自分の内面の成長具合も必要だと思う。わからないという意見を否定はしない、それも個人の価値観だと思う。しかし、わかろうとしないのであればそれは問題だと思うし、そのような人が多くいるのであれば、それはきちんと対策もしていかないといけないのだろう。この世界は見えていない部分も多くあって、自分の世界だけが完全正義ではなく、みんな不完全な世界をそれぞれ共通しつつ、生きている世界なのだから。
アナログの時代は情報が多くない分、わからないということも多くあった。わからない、見えていないからこそ本質というのを意識することもあったように思う。便利で簡単に楽しいことを手に入れやすい時代にきちんと本質は意識しないといけない。