映画の裏読み~最近の映画の主人公と脇役の関係性について~
この前久しぶりに映画「花束みたいな恋をした」を観てきた。上映開始くらいに氣になっていたものの
他に用事があったり、気分が乗らなかったりして随分映画から離れていた様に感じていた。
少し息抜きしよう、と思った時わたしはいつも映画館に足を運ぶ。
この前観た映画で《菅田将暉がどの邦画にも出まくりだよなー》と思っていて
その割に今回脇役のオダギリジョーがすごく存在感があったよなー、と心の中でつぶやき(笑)、
何で???
という疑問が浮かんだ。
その時何となく菅田将暉は割りと普通っぽいイメージで、オダギリジョーは個性派なイメージ。
本来は主人公ってインパクトがあって男前や美人でという固定概念がある、わたしの中でも、世間の人々にも。
これって逆だよね?
と、ふと思った。
もしかして今回観た「花束みたいな恋をした」の作品については主人公と脇役の位置付けが全く逆なのではないか?と思った。
要するに主人公の菅田将暉が脇役のオダギリジョーの引き立て役なんじゃないか?色で例えるなら捨て色みたいな。
オダギリジョーのファンだからって言う訳じゃないけどオダギリジョーの笑顔が前より優しくなっていたし、細かい感情の機微がよく出ていた。存在感も前より増した。まるで主人公やん!みたいに思ったよ!
主人公に普通っぽいイメージの俳優さんを起用して
脇役を引き立たせる役割だったのかな、と思いました。
映画って観る人によって印象や受け取る感覚が違うけど。
わたしもよくやる浮き彫りの方法。何かもやもやした時紙に思った事を書き出して背景に何があるか
読む方法と手法が似てる(笑)。
オダギリジョーが出てるシーンで思いっきり
意識が全身全霊オダギリジョーに流れていくのを感じた。
ジョーくん!!!
だからってうっとりする訳もなく(笑)、
真剣にスクリーンに観入るわたし。
ここんとこ情熱を傾ける対象がなく魂抜けたみたいになってたから、オダギリジョーのシーンでいきなり愛が注入されました。
もうほんとそういう意味でもオダギリジョーに感謝してます。🌏☮️💞生まれて来てくれてありがとう😉👍🎶
役者さんてすごい仕事やなってつくづく思います。
今回の映画観賞で何となくぼんやり感じるとこんな事思ってました。
映画の裏読み。よかったら楽しんで下さい。