天体観測#1 『夢の外へ』
「俺、星野源のあの曲好きなんだよね、あれ、なんだっけ、あー、そうそう
『夢の中へ』」
「あ、そうなんですね…」
私が星野源を好きである話をした時にあった、旧バイト先の先輩との会話に一編。
これを機に、この先輩には星野源の話をするのは控えようと思った。
なぜ夢の「中」ではなく「外」なのか。
そのことについて考えようと思ったのにはきっかけがある。
今、大学の哲学の授業のテーマが「夢」で
荘子の「胡蝶の夢」(非現実(夢や幻想)と現実の違いを問わず、どちらも楽しめばよい)
プラトンの「洞窟の比喩」(非現実(夢や幻想)の世界から抜け出し、現実を直視すべき)
という2つの考え方が紹介された後
「皆さんは荘子とプラトン、どちらに考え方が近いですか」という問いを受けた。
この問いに対して私は以下のような答えを出して提出した。
「私はプラトンの考え方に近い。荘子の考え方は一見常時楽観主義に見えるが現実逃避をして問題から目を背けているだけのように感じる。私は現実を受け止め、自身の課題解決に努め、現実から目を背ける必要がない状態を作ることが大切だと思う」
自分でタイピングしていて、自分は本当はそんなに強い人間なんかじゃないのにな。現実から目を背けることで乗り越えられる夜だってあるのに、と
強がって自分の気持ちに嘘をついたことにヤキモキした。
ジュ牛後、様々試案している時に、ふと源さんの曲の中に
『夢の外へ』があることを思い出した。
なにかヒントが得られるかもしれない。そう思った私はSpotifyで
『夢の外へ』の再生ボタンを押し、スマホの画面を歌詞でいっぱいにして聞き始める。
(よろしければ、あなたも『夢の外へ』を以下歌詞を掲載いたしますので
目で追いながら、一度聞いてみてください)
夢の外へ連れって
ただ笑う顔を見させて
この世は光 映してるだけ
いつの間にか明ける夜
通りを焼く日差し
夢日記は開けたままで
夏は通りをゆく
嘘の真ん中をゆく
ドアの外へ連れてって
ただ笑う声を聞かせて
この世は光 映してるだけ
自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく
意味の外へ連れてって
そのわからないを認めて
この世は光 映す鏡だ
いつか遠い人や国の空
想い届けばいいな
いつか 今は居ない あなたを
目の前に現して
現して
夢の外へ連れてって
頭の中から世界へ
見下ろす町を 歩き出せ
夢を外へ連れ出して
妄想その手で創れば
この世が光 映すだけ
「この世は光 映してるだけ」
曲の前半で2度登場するこのフレーズ。
「夢」と対をなす「この世」は光を移す。
それでは、その「光」はどこから放たれているのだろうか。
それはおそらく「夢」であろう。
この世は(夢が放つ)光(を) 映してるだけ
( )を入れるだけで解像度が上がる
具体的にこれはどのような意味なのか。
それは2番の歌詞が端的に表現している。
自分だけ見えるものと
大勢で見る世界の
どちらが嘘か選べばいい
君はどちらをゆく
僕は真ん中をゆく
意味の外へ連れてって
その分からないを認めて
この世は光 映す鏡だ
このサビ前の5行に収められた言葉には星野源色が濃く出ている。
それに私の前に立ち現れた二者択一に対するヒントも提示してくれている気がした。
「自分だけに見えるもの」
これは「夢」(非現実、幻想)で、
対して
「大勢で見る世界」
このフレーズは「この世」(現実)にあたるだろう。
「夢」と「この世」、どちらを選ぶかと迫られた時、
星野源は「夢」でも「この世」でもなく、その「真ん中」をゆく。
意味の外へ連れてって
そのわからないを認めて
この世は光 映す鏡だ
私たちは自分の目に見えているものをそれぞれの方法で「意味づけ」している。
そのため、ラベリングされた「意味づけ」以外のものに遭遇するとそれを
なかなか信じられず、場合によって否定したり拒絶したりしてしまう。
つまり、自分の持っている「意味」によってしかこの世に光を当てられないということ。
しかし、我々が持っている「光」は千差万別。
各々が自分の光によって「この世」に光を照らすわけだ。
そうなると、私の放つ「光」とあなたの放つ「光」とでは同じものに
「光」を当てたとしてもその見え方は同じではないかもしれない。
私にはAに見えるが、あなたにはBに見える。
このような時、私たちはどうすれば良いだろうか。
自分にはAに見えるから、それはAだと主張しBであることを否定し退けるか。
源さんはそうはしない。
「意味の外へ連れてって」
Aに見えるものがBに見えるかもしれない。
自身の「意味づけ」の外にあるものに遭遇した時、Bに見えるかどうか自分の目で確かめてみようとすること。
「そのわからないを認めて」
そうすることで新たなこの世を映し出すのだと。
この曲を締めくくる最後の3フレーズ。
夢を外へ連れ出して
妄想この手で創れば
この世が光 映すだけ
この世は光の当て方によってどうにでも見える。
だから嫌なことも苦しいこともある。
理解できないようなものもある。
それでも、諦めない。
この世は自分の手で創るんだ。
そんな強い思いがこの曲には込められているのだと気付いた。
さて、『夢の外へ』を自分なりに解釈してきた訳だが、
この解釈を通してあの問いに答えるとするとどんな回答になるだろうか。
夢(非現実、幻想)を否定するのではなく、夢の外へ連れ出して、
この世にしてしまおう。
これが今、自分の出せる最善の答えかもしれない。