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『Beau Is Afraid』 - ボーはナニをおそれているのか

『へレディタリー/継承』『ミッドサマー』の2作で一躍新世代ホラー映画監督の旗手となったアリ・アスターが放つ長編第3作目は、かつて2011年に発表した7分の短編『Beau』を基にA24史上最大の予算で以て3時間の大長編に膨らませた非ホラー作品のシュールな不条理鬱屈コメディだった

前2作で獲得した自身のファンをとことんふるいにかけにきたとしか思えない不可解極まりない本作は結果、本国では興収面において大コケして終わってしまった。
批評面においても傑作だという声もあれば一部では駄作だという厳しい声も見受けられるが、どちらにせよ『ボーはおそれている』には多くの疑問が残るヘンな映画だったのは確かだ。


以降、本作についてネタバレ全開で語ってますので、ご注意ください。

幼少から母親の抑圧を受け続け、極度の不安症とトラウマを抱える中年童貞になってしまった主人公ボー・ワッサーマン(ホアキン・フェニックス)。
そんなボーが父親の命日のために母親モナのもとへ向かう準備をしていた際、ドアに差していた鍵と荷物を盗まれて実家に帰れなくなってしまい…という序盤のくだりは完全に短編『Beau』まんま。

2011年の短編『Beau』より

アスターは本作の物語について「ユダヤ人の『ロード・オブ・ザ・リング』のようなもの」というが、勿論フロドのような大仰な冒険を繰り広げるわけではない。
極端に治安の悪い都市で孤独に暮らし、ドクイトグモが這う老朽化した自宅のアパートをホームレスの集団に荒らされ、突然母親モナが首無し死体で発見されたことを知らされ、路上で全裸の暴漢に襲われ、トラックに轢かれてブルジョワ夫妻に軟禁されて…と、とにかく3時間ずっとホアキン・フェニックスが目の前の状況に混乱し怯え続けながら母親のもとへどうにか帰ろうとするだけの話といえる。

ボーが辿るヘンテコで支離滅裂な旅は大まかに4つの異なる章に分けて語られる。
第一章でボーの地獄のような環境での生活状況が描かれ、第二章では郊外に住む裕福な夫婦グレース(エイミー・ライアン)とロジャー(ネイサン・レーン)に保護されるボーを捉える。親切だがどこか信用できない夫婦の振る舞い、不安定な10代の娘トニ(カイリー・ロジャース)と夫妻が庭先で世話をする戦争で亡くなった息子の戦友ジーヴス(ドゥニ・メノーシェ)の存在が不穏を煽る(ちなみに本作ではどうやらアメリカはベネズエラと戦争状態にあるらしい)。

第三章で夫妻の家から逃げ出し森を彷徨っていたボーは「森の孤児たち」という移動演劇集団のコミューンと出会う。舞台のリハーサルに招待されたボーは、生涯をかけて家族を探し続けるという主人公に自分を投影想像しながらその劇に魅了される(ここでボーが夢想する一連のアニメーションシーケンスは、アスターが絶賛したストップモーションアニメ『オオカミの家』の監督クリストバル・レオンが担当している)。
空想から我にかえると、ある男(ジュリアン・リッチングス)がボーに近づき、「父親を知っている。彼はまだ生きている」と告げる。

ボーには父親がいない。モナ曰く、ボーを妊娠した夜にオーガズムによる心雑音が原因で亡くなったという。
彼の祖父と曽祖父も同じ遺伝性疾患の犠牲者であり、「自分もセックス(あるいは射精)したら死ぬかもしれない」という恐怖を幼いボーの頭に植え付け、生涯を通じて彼に信じ込ませた。

アスターは短編時代から繰り返し何度も「家族」をモチーフに描いてきた。
息子から性的虐待を受ける父親と、その現場を目撃しながら見ないふりを決め込む母親という歪んだ黒人家庭を描いたアスター初の短編『The Strange Thing About the Johnsons』(2011)。
息子を溺愛するあまり、大学進学のために家を出ていく息子に毒を盛る母親の姿を描く短編『Munchausen』(2013)。
『Basically』(2014)においても、アルコール依存症の母親を否定しながらも親から与えられた豪邸での生活から独り立ちすることのできない若手女優の焦燥感を描いていた。

アスターの持ち得る才能が遺憾なく発揮された長編映画デビュー作『ヘレディタリー/継承』(2019)は、「どんな人も運命や血筋からは絶対に逃れられない“家族”という呪い」がもたらす恐怖を描いた家族映画の大傑作だった。
続く長編2作目『ミッドサマー』(2021)でも、双極性障害を患っていた主人公の妹が両親を道連れに一酸化炭素中毒で無理心中するという凄惨なシーンから映画は始まる。

アスターは間違いなく「家族」というものに対する根源的な嫌悪感や不信感、怖れを抱いてることがわかる。

「MWインダストリーズ」のロゴマーク

映画の冒頭、配給会社と製作会社のロゴに続いて架空の企業「MWインダストリーズ」のロゴが表示される
「MWインダストリーズ」とはボーの母親モナ・ワッサーマン(パティ・ルポーン)がCEOを務める巨大複合企業であり、劇中ボーが住む街の背景やボーの部屋の生活用品の中にいたるところにMWのロゴマークを見つけることが出来る。

第四章となる最終幕。ついに母親の家に到着したボー。
モナの葬儀が執り行われた実家の邸宅には、これまでのモナとMWインダストリーズの歩みが展示されている。
(ADHD治療薬、抗アレルギー薬、インスタント食品、安全かみそり、ニキビクリームetc…これらの製品は「Perfect Safety(完璧に安心)」と謳われており、おそらくすべてモナがボーのために作ったものだと思われる)

その中でボーは、MWインダストリーズの従業員たちの顔写真で構成されたモナのフォトモザイクの肖像画に遭遇することになる。

ボーの自宅周辺を徘徊するホームレスや、ボーを保護したブルジョワ夫妻のロジャーなど、劇中でボーを取り囲む「脇役たち」がモナの顔を構成する従業員として笑みを浮かべているのだ
その後、ボーの初恋相手エレイン(パーカー・ポージー)が葬儀に間に合わなかったとモナの邸宅にやってくるが、彼女もまた先週までモナの下で働いていたという。
ヒッチハイクでボーを拾い、実家のワッサートンまで送り届けたのもMWの関係者だ。

そして、実はボー・ワッサーマン自身もMWインダストリーズで働いていたことが示唆されている。どうやらボーが住んでいた街はMWが運営する精神疾患を抱える人々や薬物中毒者たちの社会復帰のためのリハビリテーション地区の一つであり、展示されてる広告ポスターをよく見てみるとその地域に常駐するアシスタントスタッフとしてボーが写っているのだ。

ボーがかかりつけのセラピスト(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)も、モナの息がかかった仕掛け人だったことが判明する。

最初からボーは母親に全て監視・コントロールされていたのだ

アスターの映画で屋根裏部屋が出てくるとロクなことが起きない。

とにかくこの映画、現実世界の現代を舞台にしていながら非常に不自然で全く現実感を感じさせない、常に足元が地についていない熱にうかされながら見る悪夢のような感覚で物事が中進んでいく。
それはボーが冒頭で処方された薬ジプノチクリルを用法を守らずに飲んでしまったからか、それとも最初から混乱し続けているボーが見ている世界だからなのか。
どこまでが現実でどこからが非現実なのか、その境界線は最後まで判然としないまま物語はエンディングを迎える。

何より本作で一番観客を困惑させたのがやっぱり屋根裏部屋でのシーンでしょう。
死んだと思われていたボーの父親は実は生きており、その正体はなんと巨大なペニスの形をした怪物だった(怪物の脇には、ボーが度々夢で見る「屋根裏部屋に閉じ込められたもう一人の自分」が痩せこけた惨い姿となって監禁されている。ボーは双子だったのだ)。
いやもうこのシーンはただただポカーンとするのみで、映画がギリギリ保っていた一線を大幅に超えてきたのでもはや笑うしかなかった。

個人的に本作を観て、チャーリー・カウフマンの『脳内ニューヨーク』(2008年)や『もう終わりにしよう。』(2020年)などの映画的な味わいを感じれたことがまず嬉しかった。
またそういったシュルレアリスム的な奇妙な映像体験はデヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』(1977年)も思い出さずにはいられなかった。
『イレイザーヘッド』が親になることの恐怖を描いた作品なら、『ボーはおそれている』は誰かの子供になることの恐怖を描いた作品だったといえる。

『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』のような映画を期待すると肩透かしを喰らうかもしれない。
ともすれば3時間も一体何を見せられてたんだと思わずにおれんかもしれんが、個人的には絶対嫌いになれん傑作怪作だった。

アスターは本作で大コケしたことによる損失額3500万ドルを補填するため、そして今後も変わらず作家性の強いA24らしい映画を作り続けるために、今後は大衆向けの版権ものや商業映画の製作にも取り組んでいくことが明らかにされてるけど、
それはそれで超観てみたいし次回作は西部劇映画という話もあるしでこれもめちゃくちゃ楽しみです。

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