漫画みたいな毎日。「半世紀を生き、成長を感じてもらえる幸せを。」
先日、誕生日を迎えた。
夫と私は同じ歳なので、先月、夫が先に大台に乗ったところ。
「半世紀生きてみて、どう?」
長男が夫に尋ねたそうだ。
〈半世紀生きてみて、どう?〉
この質問に対しての、はっきりとした答えを、私は持ち合わせていない。
日々を暮らし、気がついたら年齢を重ね、今に辿り着いていた。
ひとつ感じることは、歳を重ねる楽しさというものが、確実に存在しているということかもしれない。
若い頃の楽しさとは、違う種類の楽しさが。
健康や体力面、エネルギー全般の話をすれば、若い頃よりも減っているし、
望むものも少なくなったかもしれない。
でも、それはある程度、当然の流れであって、受け入れられるようになることが、年齢を重ねるということなのかもしれない。
新しいことにチャレンジし続ける方もいらしゃって、そのエネルギッシュさに感心することも多々あるのだけれど、私は今のところ、そういう感じでもないかもしれない。
かといって仙人のように達観できるわけでもなく、好き嫌いの激しさは若い頃よりも強くなっている気がするし、先に残された時間を考えると、やりたくないことに出来る限り時間を使いたくないと、ものすごく我儘になっている部分もある。
今年の誕生日当日は、子どもたちの用事が詰まっていて、送迎に追われていた。末娘のお友達と一緒にランチに行ったり、二男のバスケットボール教室の送迎、長男が大学の講座に行く送迎。夫の仕事の送迎。そんな風にして一日が過ぎていった。
子どもたちは、「お母さんの誕生日パーティーはいつやる?」と毎年張り切ってくれるのだが、自分の事となると、「ケーキも飾り付けもなくてもいいよ。いつも通りで。」と答えてしまう。
そんな私をみかねて、パーティーをしようと子どもたちが朝からケーキを焼いてくれている。
「何のケーキがいい?」と聞かれても、これといって思い浮かばず、ガトーショコラと、買い物先で美味しそうな無花果と梨を見つけたので、柿も合わせて秋の果物のショートケーキを作ってもらうことにした。
無花果の旬は夏だと思っていのだのが、無花果には年に二回の旬があるのだそうだ。秋に旬を迎える種類の方が甘さがあるとか。
三兄妹が協力して、朝から私のテリトリーであるキッチンが占拠されている。
弟妹の扱いを面倒に思う長男に、「あなたがどう采配を振るかでどんな風にでも動いてももらえるんじゃない?」と、ちょっとはっぱをかけてみたら、
上手に仕事を配分しているようだった。
「お母さんは、キッチンにいると色々やろうとしちゃうから、あっちにいってて!」と早々にキッチンを追い出されたので、午後は美容院に行く予定だ。
「飾り付けどんなのがいい?」と尋ねられ、「飾り付けしなくていいよ、面倒じゃない?」と答えると、不服そうな子どもたち。「せっかくの誕生日なのに!」と。
誕生日は、子どもたちにとって楽しくて特別な日になっているのだなぁと感じる。誕生日を特別な日だと、心待ちにするのは、とても素敵なことだ。
それでも、自分の事となると、ちょっと面倒に思ってしまったりする。
「適当でいいよ。あ、ハロウィーンの飾りにしたら?本州に出かけて戻ったらハロウィーンだしね!」
そう言って、去年か一昨年に、夫が買ってきてくれたが、使っていなかったハロウィーンの飾りを出してみた。
すると、「ハロウィーンの飾りも可愛いけどさ、ホント、自分のこととなると適当だね・・・。もっとこうして欲しいとか言えばいいのに。熱量が低過ぎじゃない?」
半ば呆れ顔の長男がこちらを見ている。
いいの、いいの。そんなものだよ。欲しい物を聞かれてもすぐには思い浮かばないし、漫画みたいな毎日を、家族と過ごせるこの時間が何よりの贈り物だから。
夕飯の後に、子どもたちが飾り付けてくれた2台のケーキに蝋燭を立て、
「ハッピーバースデーの歌、2回歌うよ!」と子どもたちが音頭をとり、
それぞれのケーキ毎に歌い、蝋燭を吹き消した。
「なんでケーキ2台なの?1台でも十分だよ?」と言ったら、
「だって、お母さん、ショートケーキとガトーショコラ、どっちがいい?って聞いたら、決められないっていうから。いつもさ、自分たちが〈どっちが良いか決められない〉っていうと、ふたつとも用意してくれたり、作ってたりしてくれるから。だから今回は2つだよ。」と長男。
そうだっけ?どちらか決められないってことは、どっちも同じくらいってことで、じゃ、どっちも作っちゃおうか、と思ってしまうのは確かだけど、特に意識していたわけではなかった。
末娘は覚えたばかりのひらがなを駆使した手紙をプレゼントしてくれ、二男は紙粘土で作った星のブローチのようなものを用意してくれていた。長男はポップアップカードを手作りしてくれた。手書きのメッセージも添えられていた。
毎回だが、長男からのメッセージが〈この人、人間としての人生何回目なのかしら?〉というようなもので、読みながら笑ってしまった。
半世紀生きてきて、社会的にはすっかり大人になった今でも、日々成長していると思ってもらえているのだとしたら、これほど嬉しいことはない気がしている。
「去年より、成長したよね。」
そんな風に言ってもらえるように。
来年の誕生日もこうして笑って迎えられますように。