学校に行かないという選択。「長男、定期テストふたたび。」
この春、中学三年生になった長男。相変わらず、学校には行かないという選択をし、自分で日々の暮らしを組み立て、運動したり勉強したり、漫画を読んだり、気が向いたら弟妹をかまったりしている。
本日、水曜日、中学で定期テストがある。
久々に受けてみようかなというので、担任の先生にその旨を伝えた。先生、お手数お掛け致します。
しかし、試験1週間前になっても、まったく焦る様子もなく、日々の自分の勉強とバドミントンの自主トレに加え、最近では私をヨガに誘ってくれるので、DVDを観ながら、朝30分~1時間程度、一緒にヨガをやっていた。
そんな長男が、日曜の夜、寝ようと思った直前に国語の教科書を持ってきて、「国語がよくわからない」という。試験範囲を今日確認したらしい。試験まであと3日である。笑
彼のいう〈国語がよくわからない〉というのは、テストで求められている答え方に慣れていない、ということの様だ。「筆者はどう感じたのか、30字くらいで述べなさい」とか、そういったものが苦手なのだそうだ。
あのさ、国語って、教科書とか問題の文章に答えとかヒントが全部かいてあるんだよ~!凄いと思わない?!
自分が偉いわけでもないのに、ちょっとドヤってしまった。
数学や理科、社会に英語、それらは暗記したり、解き方を覚えていないと答えが書けない。でも、国語って、漢字以外は全部答えが、文章の中に書いてるんだからさ!
なるほど、と長男。
テストというものに慣れていないだけで、答え方の要領を得ないのだ。こればっかりは〈慣れ〉が必要だったりする。
「テストでいい点取りたいとかあるの?」
長男に尋ねてみると、
「いや、全然。」
あくまで、彼がテストを受けるのは、テストに慣れること、自分の現在地を知る為のものなのだ。
自分は、「テストで良い点数を取る為の勉強」しかしてこなかったが、長男はもっと先を見据えて勉強している。
「いつも自分でやってる勉強に差し障りがあるんだったら、テストの為の勉強はしない。」
一応、世間的には受験生の長男。
行きたい高校もほぼ決まっていて、偶然にも?その候補の中のひとつの高校では、入学試験にいわゆる〈内申点〉が影響しない。現在、中学での出席日数も評定も、まったく関係ない。当日の試験と面接で入学の合否が決まるのだ。その高校から大学なり、自分のやりたい環境の研究ができる道を探って行きたいと思っているようだ。
学びってなんだろう?
子どもたちの日々の姿から考える。
自発的な学びとはなんだろう?
誰かにやらされるものではなく、
何のために学ぶのかということを、考え続けること。
国語の教科書に「松尾芭蕉・奥の細道」が題材とされていた。
今回は、それも試験の範囲なのだそう。言葉の意味や、現代語に直すなどを一緒にやっていき、試験範囲は一通り終了。
「松尾芭蕉!!!!」
「松尾芭蕉!!!!」
横から楽しげに松尾芭蕉の名を連呼する声が聞こえてきた。
何かと思ったら、私と長男が勉強する横で、〈ナンジャモンジャ〉というカードのキャラクターに好きな名前をつけて覚えるカードゲームをやっていた二男と末娘が、可愛らしいキャラクターに「松尾芭蕉」と名付けたらしい。
松尾芭蕉も令和の世で、自分の名前がカードゲームで叫ばれるとは予測不可能だっただろう。門前の小僧たちは、松尾芭蕉をこうして身近に感じていくのだろう。