漫画みたいな毎日。「思い描いていた線が目の前に現れたとき。」
昨日、子どもたちと映画館に行った。
12月に公開されてから、ずっと観たいと思っていた、「THE FIRST SLUMDUNK 」を観るために。
これは、批判でも否定でもなく、以前、TVのスラムダンクのアニメを観ていた頃、漫画を読み続けていた時に自分が脳内で何度も再生していた動き、特に、バスケの試合などのシーンが、自分の想像とまったく違うものであることに、がっかりしたことがあった。
脳内では、自由自在に動くキャラクターのイメージが出来上がっていた。
漫画スラムダンクの最終回から26年半。
スラムダンクの最終回をリアルタイムで読んでいた頃、私は姉とふたり暮らしをしていた。私が読んでいた〈スラムダンク〉を姉に勧め、二人でゲラゲラ笑って読み合った。
私は中学生の部活にバスケットボールを選んだが、当時は、まだスラムダンクは連載されていなかった。スラムダンクの連載が始まった時には、既に高校生になっており、バスケットボールから離れてしまっていた。
もし、中学生の頃、リアルタイムでスラムダンクが連載されていたら、私はバスケットボールを続けていたかもしれない、と思えるほど、スラムダンクに描かれる世界に憧れを抱くとともに、自分がプレイした場合には、登場人物たちのようには行かないバスケットボールの難しさも感じていた。
それでも、スラムダンクの中で描かれる登場人物たちは、魅力的で、読めば読むほど好きになっていった。
映画化されると知った時、一体、どんな作品となるのだろう?という期待とともに、今までのスラムダンクのイメージがどうなっていくのだろうと、不安のような気持ちも僅かながらあったと思う。
しかし、映画館でスクリーンに最初に浮かび上がった線を観た時、その不安のすべてが払拭された。
あぁ、これは、私がずっと「スラムダンク」として、頭の中で思い描いてきた「線」だ。
作者・井上雄彦さんの線そのものだ。
素人がこんなことを言って、生意気の極みかもしれないが、そう思った。
明かりの下であれば、涙が溢れて、鼻水も止まらず、顔もぐしゃぐしゃで見られたものではなかったと思う。なんとか溢れてしまいそうな嗚咽に近い声を堪えつつ、スクリーンから目を離さない、いや、離すことが出来ない。
どの場面になっても、何処からともなく込み上げる涙が尽きることはなく、2時間、殆ど泣いていた気がする。
自分の過去の暮らし、その時間と、過ごした人たちと重なる時間。
もう戻ることはない、そこにいた自分。
楽しいことより、辛いことが多かったかもしれない。
でも、その辛さがあったから、今の自分が在る。
子どもたちは、私が「スラムダンクは面白い!お母さんのバイブル!」と言い続けていた為、TV版のアニメを楽しみ、漫画を読んでいた。今回、映画を観に行くにあたっても、「行きたい!」と三人とも楽しみにしていた。
そして、映画を観た翌日である今日。
私が本棚から出してきたスラムダンクを子どもたちが読んでいる。
私が読み返すよりも先に。
子どもたちが寝静まったら、お茶でも飲みながら、読み返そう。
描かれる線の美しさに、時間の流れを重ねながら。