#日記
“無意識のトラウマ”を、どう認識すべきか?
自己認識の解像度を、どうやって高めていくといいのか?
自己認識の重要性を説く『insight』を読んで以降、この問いについて常々考えている。
以前に『ジョハリの窓から、「さらけだす」を再考』というnoteにも書いたが、自分は知らなくて、他人は知っている「盲点の窓(blind self)」にどう気づくのか。盲点は「気づきたい」と思っていても気づけないから難しい。
先日、Youtubeのチャンネ
矢印を自分に向けないと、「さらけだす」は生まれない
コルクでは行動指針のひとつに「さらけだす」を掲げている。
価値観の違うもの同士が協力しあい、居心地のいいチームを築くためには、お互いの「前提となるもの」をさらけだしていくしかない。
例えば、仕事の打ち合わせなどで、みんなが「わかる、わかる」と言い合う様子は、傍目にはとてもチームワークがよく、互いに共感しあっているように見える。だけど、会話の内容を細かく聞いてみると、言葉が全然揃ってなくて、真逆
改革現場で感じた、言語化し共有する価値
どうやったら「学びたい」「もっと突き詰めたい」という気持ちを自然と育むことができるか。
学校でも、企業でも、子育てでも、あらゆる領域でコーチングの考えが求められていることを感じている。他者に直接的に働きかける行為は、圧やハラスメントととして捉えられる。そうではなく、どうやって内発的動機を引き出し、それを支援するかが問われる時代なのだ。
どうすれば相手の主体性が育つのかを考えるなかで、いつも気づ
官僚の視点で教わった、いいリーダーのあり方
先月から首相官邸で開催されている「AI戦略会議」に、有識者のひとりとして参加していた。
このAI戦略会議には、内閣府、デジタル庁、総務省、経済産業省など、様々な省庁の人たちが参加している。こんな風に官僚の人たちと議論する機会は人生においては初で、その新鮮さはいい刺激となっている。
特に、印象深く感じているのが、官僚の人たちの多方面への配慮の深さだ。色々な立場や考えの人たちがいる中で、どういう方
気にしすぎな人、だからこその”強み”とは
自分の言動が周囲からどう思われているのかが気になってしまい、心が休まらず、気疲れしてしまう。こんな風に「気にしすぎ」な性格の人が、実はマンガ家に多い。
気にしすぎな人は圧倒的に思慮深い。「気にしすぎ」とは、ある出来事に対して様々な側面から考えることができたり、他者のことを深く考え、慮ったりすることが自然とできている証拠だ。
そうした思慮深さは作家にとって何よりも大切なことであり、「気にしすぎな
「わかった」はコミュニケーションの失敗
「わかる」という概念について、考え続けている。
まず、「わかった」という言葉を、自分に向けて使う時と他者とのコミュニケーションで使う時の2パターンにわけたい。
まずは、自分に向けての、内省的な「わかった」。
以前、こんなnoteも書いた『人生の推進力は、勇気ではなく、わかったつもり』。本当に何かをわかりきるなんてことはない。常に「わかったつもり」でしかない。
その「わかったつもり」の時に、
どうすれば、呪いのような「小言」を言わなくなるか
言葉が持つ力について考える。
言霊と言うべきか。その言霊の力まで理解して、言葉を使わないといけない。ファンタジーで、意味を理解することなく魔法の言葉を使うと、予想外の災難を起こしてしまうように。
言葉が指し示すものは、ぼくらが想像しているよりも大きいかもしれない。
日本に住んでいると「まわりに迷惑をかけないように」という台詞を至るところで耳にする。子育ての方針としても「周りに迷惑さえかけなけ