ピアノレッスン 《休符》
私の中で、休符でつまずいてる。
休符の時の手の離し方が分からない。
『指で弾かない。手首の回転運動を使う』
と、ここぴ先生が弾いて見せてくれる。
見て、音を聴いて、「ああ、そうやるんだ」と思うけど、自分がやってみてしっくりこない。
ここぴ先生は、「つまずきにもその人の中で意味がある」といつも仰ってくれる。
人から見たら、「休符が分からないなんて、つまらない所でつまずいてる。」と思うかもしれないけど、「アレ、ここ分かんないぞ?」と考えることをここぴ先生は「つまらない事」とは言わずに、私が納得するまでのプロセスを待っていてくれる。
ものわかりの遅い私は、いつもありがたいなぁとホッとする。ピアニストになるためでなく、ピアノを愉しむためにピアノを教われることが幸せ。
自分でも休符の何が分からないのかわからない。けれど掘り下げてみたいと思う。
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休符…
一小節の中の音のない間。
鍵盤を押せば音が出るし、指を離せば音が消滅していく。
日常の仕事の中で、手を休めることはある。その時は動きを止めている。
でも休符って、「休憩、気を抜く」という記号ではないな、という感じがする。
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跳ねる音、短い音、弱い音、曲の終わりのゆっくり消える音。
そのどれでもない「休む音」。
曲の流れの中に、一拍の音の間があいていることで、音楽が呼吸するんだろうな、と思う。
曲の流れの中で休符の役割は、「何もしないでいること」というよりも、次の音までの間(ま)だと思う。
その一拍の短い休みは、曲の流れの中で空っぽだけど「無音」という音が有るように思えて、この「無音」の「静」をどうやって弾くのかがわからない。
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『呼吸に合わせて、手の関節の動きを使って』と、ここぴ先生が一緒に弾いてくれるとなんとなく感じが分かる。
でもまだまだ、分からない感覚もある。
分かったフリはしないで「分からないこと」を保留にしながら、ああでもない、こうでもないとモヤモヤしながら自分で何か試していくことも大事かなと、思う。
いつか休符が分かって、できるようになれば「ああ、出来るようになった」とホッとする程度のことだと思う。
でも、そんなつまらないこともピアノと一緒に遊ぶように楽しんでいる。