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小さな私と手を繋いで (11月ピアノレッスン)

夏からレッスンを始めた曲が右手のメロディーの動きと左手の動きがスムーズに合わせられるようになって、今回曲として弾けて、合格することが出来ました。

今回はここぴ先生から
「音符がずいぶんと読めるようになって来ましたね」
「右手の動きと左手の動きがそれぞれ別人格のように弾けていて質が上達しました。」
と言ってもらえて、つまり、「音符がわからなかった状態に後戻りしなくなったよ」という意味に受け止めました。
先生に太鼓判を押してもらった感じがして、嬉しいことこの上ありません。
先生も一緒に喜んでくれる様子を見て、私の成長を見守っていてくれるのが分かって、そのこともまた嬉しいです。

前回のレッスン後から、練習の時に今までとは違うことをやってみることにしました。

私は練習の時もミスタッチをしてしまうと気持ちが焦ってしまうのです。
ミスタッチすると、まるで違反を犯して減点されるような気持ちがしてました。
目標目指してスモールステップでちょっとずつ、ちょっとずつ進んでいくのですが、ミスしてしまうと、頑張ってきたこと、やってきたことが一つも結果に結びついてなかったように感じてしまって、それが怖いんです。

でも、大事なのはミスタッチした時に、大切なのはどう反応するかだ、と考えることにして、落ち着くことを許可してみることにしました。

それでミスタッチするたびに、一息吐いてから、自分で心の中で「ナイスミス」と言うことにしたんです。他にも

「大丈夫、リラックスして。」
「ミスタッチは頑張ったってことだよ。」
「もう1回トライしてみようか。」

と冷静になるように自分に話しかけてみるんです。

「たくさんミスして上手になっていくんだよ。」
「残念だけどけど、それが上達する道筋なんだ。」

こんなふうにして、心の中のもう1人の自分が私を励ますようにしました。


楽譜に書いてあることが理解できて弾けるように早くなりたいのですが、そうなるまでには、練習することが沢山あります。
でも辿った失敗過を投げ出してしまわないで、これまでの試行錯誤の軌跡も含めて大切にしたいと心の中では思っていました。

なぜそんなことを考えるのかというと、私は音符がわからなかった私を置いてけぼりにしたくなかったのです。
子どもの頃ピアノ教室で、わからないと言えなくて下を向いて鍵盤をじっと見つめていた小さな私と仲直りしたかったんです。

「あの時、弾けない自分を情けないと思ったことを許してね。」
「今まで、できない自分を責めてごめんね。」

練習中にミスしたことを許すうちに、ミスタッチが怖くなくなったり苦しくなく練習出来るようになったら、指が楽に動くようになってきました。

私がほんとうに求めていたのは、置いてきた小さな自分とまた一緒に手を繋ぐ感覚を取り戻すことだったのかもしれません。
おそらく私は、ピアノのスキルを習う前に、子どもの時、ピアノで傷を負った自分を癒す時間が必要だったのだと思います。
そのために今まで弾けない時間を費やしてその意味を探してきたのかもしれません。

そんな話や練習に心掛けたこともここぴ先生に聞いてもらったら、また先生も一緒になって喜んでくれて、とても感謝でした。


「時が来たら、必ず弾けるようになるからミスは恐れないでいいよ。」と待っていてくれる先生と、失敗することを許される教室に出会えたことで、傷の痛みも去りました。


今回の曲は、これでお終いではなく、また時々弾いて大事に育てて行きたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございます。


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