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Terima kasih

夏の終わりはまだ湿度があるけれど、空気がカラッと乾燥して来たら秋になったと実感します。

今日は天気も爽やかで、かすかな金木犀の香りがどこかからか感じられます。
金木犀の花の他に、リンゴや果物の香りや干した草の匂いがしてきて、針葉樹のにおいも風に運ばれて来て、秋の信州は豊かさに満ちています。

午前中、茂ってしまったミントやレモンバームの刈り込みと、家庭菜園のトマトの根を抜いて最後の青いトマトを取ってきました。
ハーブは乾かしてハーブボールにしようか、トマトは先日作ったピクルスに入れてしまおうか、と考えながら土や草に触るのは楽しい時間です。

ようやく最近、アレルギーの辛さから解放されて、体が楽に動けるようになったことに感謝しながら、あれはどういう意味の時間だったたんだろうと、物思いにふけっています。

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アレルギーの症状が出る前も、本当は少しずつ体のどこかしらに炎症が出ていました。
「それは難しいよ」と内心思うことも、意地でやってきてたから体に無理が出ました。

今回、始めの頃はアレルギー症状の辛さに加えて、辛くて薬を飲むとアレルギー症状は鎮まるけれど今度は体はダルくて動かれないし、なんだか分からないけど、ポロポロ涙が出て、泣けて泣けて仕方がなくって、全く弱ってしまいました。

不安になって心療内科に行った方が良いのか、「メンタルも辛い」と、友だちに相談したら、

『心身の不調は、無理しちゃダメというサインのこともあるからね。
頑張り過ぎていると思うから、いろいろ少しペースダウンした方がいいのかもしれないね。』

と、心療内科を受診するよりも、先ずは休むようにと友だちは言ってくれました。

子どもの頃からずっとの友だちが、言ってくれることは本当のことに違いない。
と思って、心療内科に行くより、体に負荷をかけず休むことにしました。

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そのうちアレルギーもだいぶ良くなってきて、食べるものも大体食べられるようになりました。

辛い時間でもあったけど、今まで溜め込んでしまった、いろいろなごちゃごちゃを体が「症状」として出しているのかな、とも思うところもあり、体の治る働きに委ねてみようとも思いました。

「何もしない時間」はころんと床に寝っ転がって「銀河鉄道の夜」の朗読を聞いたり、他のnoterさんとのやりとりしたりして、まったりゆっくり時間を過ごしました。


『病気は必要な間だけいてくれます。』という言葉をnoterさんからコメントで頂いて、その方は『心をこめて病気をなさってください』ということも言ってくれました。

病気は嫌なものだけど、病であっても迎え入れる気持ちを持って「癒しの恩恵に与る」とは、こうゆうものなのか、とも思いました。



私以外の誰かとの交流を通して、消耗していた私の感性を回復して、そして心の奥深ーいところの痛みから解放されていく、みたいな、魂が癒される時間を過ごしました。

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食事してない時間でも、寝ていてる時間でも、突然表れるアレルギーの症状。
腫れて皮膚が熱いし痛くて痒くて眠れなかった夜も、気がついたら症状が出なくなり、だんだんと夜が眠れるようになって、体がしっかりと休めるようになりました。

何もしない時間をくつろげるようになって、日ごと生まれ変わるように、つるんと肌がキレイになっていくのは、不思議なことであり、また喜びでした。

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今回のことを振り返って、体も心も限界のあるものだと自分を反省しました。

自分にとって一番大切な人は自分ということ。まず自分を守ることをしなくちゃいけないんだと痛感しました。

先日、「会いませんか?」と声をかけてもらう機会がありました。
「そこへ行けそうな気もするけれど、大丈夫?今、私行ける?」と自分に聞いてみたら、「行かれない。」という答えがありました。

その小さな声が聞こえていても無視して行ってしまうのが今までの私でしたが、出来ないと思ったら、心をこめて「出来ない」と伝えることが、今回の出来事の最後の仕上げの試験だったように思えました。

そして断りました。

断っても良いと、私を信じれて良かった。

「今回、会えない」と相手の方に言っても「うん。それでいいよ」と言ってもらえたこともホッとしています。

断っても分かってくれると、相手の方を信じれて良かった。

相手の為にしてあげたいけど、自分には限界があるから、出来ないことがある時は断ることもしていこう、と思います。

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最近教わった言葉があって、インドネシア語の「ありがとう」って言葉です。

terima kasih(トリマカーシ)といって感謝の気持ちを表す言葉だそうです。

terimaは「受け入れる」、kasihは「愛」で、文字通りには「愛を受け入れます」という意味です。

「誰かがしてくれた親切に対して、心から感謝します」という気持ちを伝える言葉だそうです。

それに対して、「どういたしまして」はsama sama (サマサマ)というそうです。
samasamaは「お互い様です」って気持ちを伝える言葉だそうです。

人と人の関わりあいが、この言葉の通りであったなら、良いなあと思います。

病気も医療と薬の他に、誰かが誰かの幸いを祈る気持ちや、「良くなってね」の気持ちの呼応の間に癒されていくのだと、今回自分の経験を通して思いました。




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