なりたい自分など…
無い
そんなものは無い
直感的にそう思う。
自分で枠を決めてそれを目指すなんて人生はつまらない
とは言え、
ハードルのないハードル走、バーの無い走り高跳び。
それじゃあ頑張れない。
だから人間はなりたい自分を想起するし、目標も設定する。
締め切りがあれば、底力が出るし、
死にそうになれば、馬鹿力が湧く。
生き物というのはそういうもの。
なりたい自分と言われて、君は何を想像するだろうか。
きっと力のあるものを想像したに違いない。
何故なら人々は弱者になりたくないからだ。
強者になりたいに決まっている。
ただ見渡すと、弱者はたくさんいる。
日本人に生まれるという抽選を勝った時点で、ある程度上に立てただろう。
ただ、アメリカに生まれた者はもっと上に立っているだろう。
そうやって、人々の立ち位置は違う。よく綺麗事でどの環境でも努力次第でどうにかなると言うが、それは本当に綺麗事である。
これの何が問題かというと、今の自分の立ち位置を知らないことである。
マラソンで走ってるのはいいものの、自分がどれくらいハンデをもらっていて、どの位置を走ってるのか知らない人が大半である。
メタ認知ができていない。9割はできていない。
なりたい自分を大概的に言うと、
「自分のことを理解している自分」
これが結論。
コントローラーの使い方を知らずにゲームはクリアできない。
ただ現実世界では、それも知らないし、自分の立ち位置も知らない。
それじゃあ水無しで砂漠のど真ん中である。
自分に興味があるようで、全く無いのである。