人生とはなにか

人生とは人の一生である。
一言で言えばこうだ。

では、他の生物の一生と人の一生は何が違うのだろうか。生物学的にいえば、一生というのは命を授かり死までの過程を表す。生物はなぜ生まれるのかと言うと、繁殖をするためである。生物の目的というのは基本的に繁殖である。それ以外には目的などない。

幾多の生存戦略を積み重ねて、今いる生物は命のバトンを繋いでいる。今生きている生物は優秀と言える。

ただ、人はどうだろうか。人はもはや繁殖を目的として生きていない人もいる。ほとんどがそうだろう。最近では子供を欲しがる人も少数派だ。実際出生率も2を割っている。

これが意味することは、日本人はこのままだと絶滅するという事実を示している。いわば、もう生物としての繁殖能力として破綻している。

では、人間の人生の目的とはなんだろうか。

それはより良い「幸せな人生」を歩むことである。
とはいえ、その幸せの基準はどうなるのか。
生まれる地、環境によって、同じヒトでも大きく異なる人生を歩む。
北朝鮮に生まれれば最悪、戦争の地で生まれれば最悪、食料困難の地に生まれれば最悪。端的に言えば、日本に生まれた時点で絶対的には幸せな人生なのだ。

ただ日本人は幸せな人生を歩めているのだろうか。自殺率は極めて上位である。

前提として動物で自殺をするのは基本的に人間のみだ。繁殖することが目的なのに、自ら命を断つことは一見矛盾している。(カマキリをはじめ他の生物で栄養を目的として繁殖後、メスがオスを食べたりみたいなのもあったりするがそれは結局のところ、子孫に対しての投資であり、結果として繁殖を目的とすることからは外れていない)

人間は感情を深くもったがゆえ、楽しさを感じる以上に、憎しみ悲しみ憎悪など悪影響を与える感情も持つことになった。

なぜ人は深い感情を持つことを選んだのだろうか。理由は2点ある。

一点目は
こうなることは想定していなかった。
だろう。

進化をする上で、感情というベクトルは未知数な上、メンタルに悪影響が出るということまで考慮せずに進化をした。また、時代が進むにつれ、感情を脅かす存在が増えたため、精神的負荷が高くなりすぎてしまったのも拍車をかけているだろう。

もう一点としては
種として共存するためである

動物は基本群れで生きており、他の群れと出会うと攻撃をし合ってしまう。同じ種だとしてもだ。

とはいえ人間はまだ真の意味で共存できていない。国境には壁があり、未だに黒人やアジア人の差別は止まらない。

また、人間は最大の過ちを犯している。それは戦争だ。それは共存からかけ離れている。現在もまだ、戦争は続いており、また活発になりつつある。

戦争の目的は物資の獲得、権力の誇示、領土の獲得などである。とはいえ、戦国を全ての国が行わなければ、物資は安定する。奪い合いが始まれば、その奪い合いに参加をしないと、負けなのだ。生物としての戦争というフェイズは避けて通れなかった。

それを乗り越え、人間は豊かな世界を作った。ルールを明確にし、個人が力を持ちすぎないようにした。現在の日本は平和と言える。

結局、わたしが言いたいことは、
人間は苦しむために生まれてきたわけじゃないということだ。どんなに苦しいことがあっても、一途の光を見て人間は歩んできた。先人の努力が今の日本を作っている。

だからこそ、前を向いて生きていこう、と思う。光を求めれば、前が影になることはない。笑顔があれば、周りも笑顔になる。

より幸せな人生を歩むためにできることは何なのか。私には正直分からない。答えはないと思う。だけど、何か核心的な、暖かい心がそれを分かっている。潜在的に。

きっとそれは人と人との感情が交わるときである。
そうだ、感情は世界共通言語なのだ。音を出さずとも、感情を介して、お互いを理解できる。手を繋げばより深く感情を知ることもできる。

私は世界がより心から感動できることに溢れ、世界の一つ一つの育みが幸せに、最高の家庭を築けることを心から願っている。
世界はいずれ感情を介して繋がり、心から安心できる世界が実現する。そう願いたい。

そして、その幸せな人生を歩む一員として、今後の人生どう生きるかを、改めて考えていきたい。





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