巣立ち
私は二十歳の頃バンドに夢中になり、実家を飛び出して東京に出て来ました。
先日奈良へ帰省した時に一緒に食事をしていた友人達は、
そういえば、38年前のあの時に壮行会をやると言って集まってくれたメンツだったなぁと今さらながら思い出しています。
中学の時の友人なので、高校時代は少し疎遠になっていて、数年ぶりにいきなり連絡をもらったのを覚えています。
当時、私達のバンドが東京に行くというのは地元では少し話題になっていたので、何処かからか噂を聞きつけてくれたのだと思います。
あの時代、田舎者にとって、東京に行くということはそのぐらい大変なことでした。今では海外に行くような話で、遠い遠い場所だったのです。
昭和時代、吉幾三さんの『おら、東京さ行ぐだ』のように、そんな思いを題材にした歌謡曲も多かったですよね。
そして、私が思い描いた未来もバンドで成功するという正しく夢のような話。親や親戚からの反対はそれはそれは大変なもので、私は半ば家出のように出て行きました。
私はよく覚えていないのですが、引越しの日、母は仕事か何かで居なかったようで、私は「行ってきます」と新聞紙にデカデカと書いたものだけを残して居なくなっていたらしく、帰宅した母はそれを見てポロポロと泣いたそうです。
そして、私を東京に行かせてしまったことを後悔し、自分の人生の汚点とし、その後何年もの間、恨み節のように私に話して来たものです。
まだ暑さが残る10月の中頃、娘が引越しました。
家を出て私達夫婦と別々に暮らすことになったのです。
電化製品や家財道具の多くは新しく買い揃えるということで荷物は少なく、私がレンタカーを借りて運びました。
この話のオチとしては、自分の時とは違って逆の立場になると…なんて感じが良いのは分かっていますが、残念ながら私は違います。
全く淋しくないとは言いませんが、順調に次のステップに進んでくれたことに大きな安心と喜びを感じています。そして、これから多くのことに気付き、学んでいってくれるだろうと期待もしています。
ただ、家内は少し違ったようで…
引越しの日、荷物を運び入れて娘を新居に残して出ていく時、急に大粒の涙を流し始めたのです。
考えてみれば、男親と女親とでは子供に費やす時間や労力には大きな差があります。
愛の形も少し違うのでしょうね。
恨み節を聞かされて、人の夢を汚点にするな!などと憤ったこともありましたが、あの日母が流した涙も、ただただ淋しかっただけなのかもしれません。
そして、娘が引っ越した二日後、仕事から帰宅すると『おかえり~』と娘の大きな声が…、え…??
『どうした?』と聞いてみると、今夜はハンバーグだと聞いて食べに来たと言うのです。
どうやら、娘の次のステップはかなりスローペースのようです。
俺と違って、母親孝行だな、おまえは。