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ちゃいの自己紹介

こんにちは!ちゃいです。

今回は僕の自己紹介をしようと思って、書き始めたら、なんで今、この仕事(パティシエ、チョコレート作り、飲食業)をしているのかや自分の経歴みたいになってました、、でも、これはこれでありかなと思うので自己紹介も兼ねて書いていきます!

1992年5月生まれ、岐阜県大垣市上石津町出身。姉と妹がいます。

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(家の近くの風景、田舎ですが、桜並木がきれいでした。)

幼少のころは、魚が好きで、よく絵を書いたりしていました。ゲームの”つりぬし”が大好きでした。それもあって大人になったら漁師になろうと思っていました。


転機が訪れたのは13歳、中学1年生の冬休みでした。そのころ、ゲームばかりしていたのですが、ちょうどやりこんでいたゲームをクリアした後で退屈していました。そのとき、たまたま姉がお菓子作りの本を借りてきていて、たしかスイートポテトを作っており、暇だったので僕もその本を読んでいました。その本にヨーグルトのロールケーキが載っていて、食べたいなと思ったので姉に作ってと頼んだのですが、自分で作ったらとのこと。
まあ、暇やしやってみるか!と思って、本を読みながら作ったのですが、見事に大失敗。なんか悔しくて、何度も作っているうちにのめりこんでいきました。その年の夏までにシフォンケーキ、ガトーショコラ、シュークリームなど基本的なものが作れるようになり、次に本に載っていたイースト菓子がおいしそうだったので作ってみました!イーストを入れるこにより、作業に発酵が絡むのでより複雑になるのですが、おもしろ!となって今度はイースト菓子やパンに興味を持つようになりました。(ちなみにこれも失敗しました、、)夏休みの間、食パンやクロワッサン(めちゃくちゃになった)、フランスパン(これもやばいことに)、発芽玄米酵母を起こしサワーブレッド(酸っぱすぎて、僕は一口くらいしか食べなかった、親父が食べてくれました、ごめんね)などなど、失敗を繰り返したものの、その夏休み(中2)が終わるころには将来はパン職人になる!!と決めました!

その後、高校から専修学校などに行きたかったのですが、両親のすすめもあり、普通科の高校に進みました。しかし、やってしまったのが、バイトが原則禁止の高校だったこと、パン屋でバイトしたかったのですが、長期休みのインターンとしてしか認められませんでした、。

ですが冬休みのときに地元の有名店でインターンとしてバイトさせてもらえることになりました。グルマンというお店で岐阜の田舎のほうなのに、かなり早い時期からシュトーレンを販売していたり、大きな石窯があったりと先進的なお店でした。朝4時半に起きて、5時半くらいに母に車で送ってもらい(ありがとう!)、6時から12時まで働いていたのですが、冬場だったので氷点下で真っ暗のなか、出勤して、緊張しながら、厨房に入って、型を磨いたり、掃除をしたり、リンゴをむいて刻んでいたのを思い出します。今考えると信じられないほど、のろまで使えなかったのですが、よくしてもらったなと思います。なかでも双紙さんという方(若い方でしたが、石窯を任されていたり、すごい人という記憶があります)がいろいろとアドバイスしてくださいました。「技術は身に着けるのに時間がかかるし、働きながらじゃないと難しい。けど、パンやお菓子の科学を理解していれば、覚えるのも早くなるし、なぜ、こうなるかが分かるようになるから、勉強するといいよ」と。そして、最終出勤の日に”お菓子のこつの科学”という本をくださいました!それで勉強したことが今の僕のベースになっています。(本当にありがとうございました)

その後は高校のアルバイト申請が認められず、、地元の中華料理屋さんで勝手にバイトしていました。(グルマンは厳しくて、アルバイトの許可がないならダメでした、、)ここでも、いろいろと勉強させてもらい、結果、パン職人、もしくは食に携わる仕事をするんだとより一層思うようになりました。そして、京都の製菓専門学校に入ることにしました!

で、京都で大きな出会いがありました!まず、チョコレートが大好きな友人ができて、影響されてチョコレートが好きになりました。次に僕が京都に来た年にDARIK(日本でのBean to Barのチョコレートの先駆けの一つ、スラウェシ島で栽培指導や発酵指導に力をいれている)ができました。初めて、食べた時の感動や理念に共感を覚えました。その後、いろいろあってバレンタインの時にバイトさせてもらったり、忙しいときに手伝ったりしました。それもあって、20歳のときにインドネシアのスラウェシ島のカカオ農園に連れて行ってもらえることになりました。(代表の吉野さんが元バックパッカーで、農園のほかにもトラジャや、シンガポールを案内してくれました)カカオ農園で行って思ったことは、(カカオ農園っていっても村が一体となって運営している)カカオ豆って当たり前だけど人が作ったものなんだなということ、日本でチョコレート作っているだけでは見えてこない、お父さんがカカオを収穫していたり、子供たちはカカオを栽培している森で遊んでバナナを食べたり、ココナツをとったり、お母さんは家で料理をしたり、という人々の暮らしや営みがそこにありました。それを見て、僕は生産者の人が可哀想だからフェアトレードみたいな発想はナンセンスだと思ったのと、そうしてできたカカオ豆を扱う責任みたいなものを感じました(それはほかの素材でもそうなのですが、このときに特に感じました)元々、将来、お店を作りたいと思っていたのですが、それ以降、カカオを積極的に使いたいと思ったのと、生産者の人に何らかの形で貢献できるような仕組みを作ったり、生産物(例えばカカオ)のストーリーなども伝えていきたり、大きく言うと自分の事業を通して何らかの社会貢献できるようになりたいと思うようになりました。

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(現地でカカオ豆からチョコレートを作る実演しているところ。現地で手に入る器具(ここでは石臼)を使いました。みんな興味津々でした!)

専門学校卒業後はもともと、お菓子屋さんに勤めようと思っていたんですが、お菓子を作る以外のことを学べ、かつ、社会貢献的な事業に関われるのはDARI Kだと思い、就職させてもらいました。

自己紹介2につづく。


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