見出し画像

2024年9月26日、27日(木、金) 記憶と記録とその向き合い方の話

先週から今週の頭にかけてがイベントが目白押しでバタバタでして、ダブルブッキングだけはしないように同じ日に予定を入れないように気をつけてはいても、予定が集中することには無頓着なので偶然でも予定が集中するとこういうことになりがちです。
バタバタからの一息少しついて演劇教室に行っての翌日金曜日は力尽きたのか朝起きられず、アラームが鳴ったはずなんだけど止めた記憶がないままに8時ごろまで寝てました。
それで朝の日記が書けず、夜も燃え尽きな感じで書けなかったので諦めて2日分です。

2日も経つと何やってたんだっけ? になってしまって、やったこととか考えたこと感じたことをすっかり忘れてしまうのが最近ほんとダメな感じです。
なので記録を残すことがやっぱり大事なんだよなぁと改めて考えていて、今のところ僕の記録を残す先というのを整理してみると以下の3つに集約されているっぽい。
こうしようと思って意識的にやっているわけではなく、結果的にということなんだけども。

  • 感情の記録:書く瞑想

  • 実行の記録:タスクシュート

  • 思考の記録:noteの日記

このnoteはあらかじめ書こうと思っている内容が頭の中にあることもあれば、完全にアドリブで書きながら思いついたことをそのまま書き出していることもあって、どちらかというと後者が多くて今も思いついたままにキーボードを叩いているところなんですよね。
だから、さっきの記録先が3つあるなとか、書くことがある場合とアドリブの場合があるなとかは今考えて気がついたことで、こうして書くことでいろいろ発見があるなと思ったり。
アドリブで書いているので、この文章がどこに向かっているのかさっぱりわかりませんけど。

記録をしたら、その記録を改善の役に立てたいと思ってしまうのですが、あまりにも改善、カイゼン言われるのもなぁと思うところはあって。
PDCAを生活とか人生に適用しすぎると苦しくなるよという話はたしか3 Waysのタスクのレビューの回で言われていたと思うのですが、それはその通りなんですよね。

ログを精査して分析してどうこうしようと思うよりも、たまに読み返してそういえばあの時そんなことがあったとか考えてた感じてたというのを思い出すだけでもある意味十分かもしれなくて、それくらいの向き合い方でいいのかもねと思ったりしています。
思い出すだけでも現在に与える影響も少なからずあるだろうし。

思い出したんですが、昨日の朝に「TaskChute Cloud2を使って学ぶタスクシュート」の第3回の記事を公開しました。
こっちのタスクシュート発信用のアカウントはまだ作ったばかりでフォロワーも少ないのでこっちで宣伝しておきます。
呼んでね読んでね。


サポートしていただいた資金は、アウトプットのためのインプットに使いたいと思います。読んでもらえる記事にフィードバックできるようにしたいです。