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2022.8.14(日) ウラダイコク reading-park 「魚雷モグラ'22」

台風が東京を直撃して過ぎ去った翌日、台風一過の暑さの中、「魚雷モグラ」の舞台を観に行きました。
3年前の2019年の夏にも友人が出演していて観に行った舞台で、今回は別の友人が出演していたので前日に予約して行ったのでした。

最近、文章を書くのをサボっていたので、作文能力が衰えてる気がするのだけど、前回と今回の出演者に感想を期待されてるっぽいので、感じたことをつらつらと書いてみることにします。

物語のあらすじとその解釈については、前回観た時に書いた日記から変わらないので、そっちを読んでくださいませ。

まず、感想としては、観に行って良かった。
心動かされる舞台でした。
ちなみに今回はダブルキャストで2チームが交代の上演だったのだけど、観たのはびーどろチームの方です。

「心動かされる」と書いたのは、「感動」とは違うなと思ったから。
この舞台自体は一度観ているので、ストーリーは知っています。
それで、舞台上で笑ったり、怒ったり、泣いたり、喧嘩したりしている女学生たちが、物語の結末でどんな最後を迎えるのかも知ってる上で、彼女たちの姿を見ていると、初めの場面から心がざわついてしかたなかったのでした。

この心のざわつきは何なんだろう? と考えてみると、やはり最近の世界情勢や日本の状況が関係しているんだろうなと思います。
終演後に出演していた友人と話して知ったのですが、ウクライナの情勢など戦争の気配が近づいていることも反映して脚本や演出を変えていったそうです。
観ていて、前回と脚本が少し違うかも……と思ったのは間違ってなくて、前回と受け取り方が変わったのも演出意図もあったのかなと思います。

3年前、自分がどんなことを書いたんだっけ? と思って読み返してみたんですが、その時思ったことは3年経っても変わっていないように思います。
恨みの連鎖は誰かが受け止めない限り止まらないのは確かなのに、やられそうになったらやられる前にやってしまえという人が増えているし、自分が正義の側に立って正しいことをしていると信じていて、実はその先で被害を受けている人がいることを想像できない人も増える一方のように思える。

それに加えて今思うのは、責任を引き受けようとする「大人」の不在と、考えることをやめた人、無関心な人、盲従する人の罪のことかもしれない。
女学生たちはアメリカ兵をやっつける魚雷を作ることを名誉と思い、無邪気に明るく殺人兵器を作っている。
その明るい無邪気さに心がざわつくのです。
その無邪気さは罪だろうと。

しかし、もっと罪なのは、その無邪気さを利用してマインドコントロールした大人の邪悪さなんだということはもちろんで、そうなる前に責任ある大人が止めなければならなかったはずです。

翻って現代の状況を見てみると、権力の中枢にいる「大人」たちはのらりくらりと責任を取ることから逃れ、好き放題やっている。
権力を持たない「大人」たちは考えることをやめ、無関心で大量の情報に溺れながら、すべてを忘れ去っていき、権力に盲従し、行動しない。

また、3年後はどうなっているんだろう?
戦争で焼け野原になっていなければいいけれど。
スクラップ&ビルドが好きな民族だから、焼け野原になるところまで行かないとやり直せないのかもしれない。
変わらないためならばどんな努力も惜しまない民族でもあるから、やり直しても変わらないかもしれないけど。

まとまった結論めいたものは特にないです。
希望のある話も特にない。

希望があるとすれば、まだ戦争は始まっていないし、三発目の原爆も落ちてないってことかな。
各人が負える責任を負って、考えることをやめずに日常を生きていくしか、今はないんじゃないかなと思っています。


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