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辛い経験は、それと引き換えに大切な価値をくれた

今から15年ほど前、新卒で全国展開する住宅メーカーに就職したときの話です。

念願の住宅営業で内定が出、安堵したのも束の間、配属先はわたしとは縁もゆかりもない地方だったのです。

過去を振り返ってみると、辛い経験ほど、自分にとって大切な気付きを与えてくれたなぁと思うことが多いものです。
ここでの経験も、わたしに大切なことを気付かせてくれました。


配属されたのは・・

配属先は福井県にある人口8万人ほどの市で、ショールームもない小さなの営業所でした。

実は、配属先が福井県と分かった時点で長くは勤められないなと思いました。
それでもショールームのようなきれいな職場であれば・・と淡い期待を抱いていたのですが、その夢も粉々に砕けてしまいました。

そんな中でも、当時は「石の上にも3年」という言葉が今よりずっと市民権を持っていたので、なんとか少しでも長く頑張ろうと思っていました。

売れない営業マンの肩身の狭さとストレスと

わたしの仕事は住宅営業だったので、新入社員研修が終わると、飛び込み営業の日々がはじまりました。
家を一棟売るまでは、社用車は与えられず、自転車営業の日々。
先輩に住宅地まで車で送られ、「2時間後に迎えに来るから飛び込みして情報を得てこい」というようなことも。

最初はなんとか頑張って営業に出掛けていたわたしですが、家がそう簡単に売れるわけもなく、売れない間は、常に肩身の狭い思いをし、どんどんと気持ちが沈んでいったように思います。
同じ営業所には1年上の先輩がいて、まだ1棟も売れておらず店長からの風当たりが強く、新人ながらに「あの人がわたしの未来かも」、と思ったりしていました。

仕事はもちろん大変だったのだけど、社内の交流が限られていたことが辛かったです。小さな営業所に配属されていたので、日々接する人は限られていました。

休みは火曜日と水曜日なので、友人や彼氏ともあまり休みが合わず、
それでも休みの日には都会に出掛け、なんとか気持ちをつなぎ止めていました。

帰りにはたくさんの紙袋を引っ提げて特急に乗って、なんだか惨めな気持ちになっていたのを覚えています。買い物でストレスを発散しているようで、できていないことは自分でもわかっていたのでしょうね。

住宅営業はやりたくて選んだ仕事でしたが、孤独感や辛さを感じずにはいられなかったです。
もし、せめて福井市内に配属されていたら・・仲の良い先輩に気軽に相談できたり、飲み会に参加できたりと、色々と楽しみもあったのでは、と。
自分の中では望む人間関係を気付けたかったことが何よりも寂しく、辛かったのです。

得た教訓

  • 一つ目の教訓は、「知り合いがいない田舎ほど辛いものはない」ということ。

仕事や配属先が辛かった理由としては、とにかく仕事が大変だったこと、知り合いがいなくて寂しかったこと、相談できる同僚があまりいなかったこと、休みの日に遊ぶ場所や遊ぶ人がいなかったこと、など色々とありますが、周りに良い人間関係さえあれば、なんとかなったのではと思います。
わたしにとって、それほど人との交流が大切だったのです。

  • 二つ目の教訓は、「自分の住む場所は自分で決める」ということ。

あれから、大阪に引っ越し、その後も自分の望む経験ができる場所を選び引っ越してきました。
なんと今は、あれほどいやだと思っていた田舎にまた住んでいます。それでも同じ田舎を選ぶ人同士シンパシーがあるのか、良い人間関係にも恵まれ、今の生活をとても楽しめています。

まとめ

辛い経験は必ずしも辛い経験という側面だけあるのではありません。
むしろ、自分の心を大きく揺さぶる経験こそが、自分の本当の望みを浮き彫りにするチャンスなのです。

また、これだけガッツリと自分にとって辛い経験となったからこそ、合わない職場を早く辞めることができ、その後大きく自分の生き方をシフトすることに繋がったのだと感じています。


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