ずらかる

盆休み、僕はいつものようにあみだくじをひたすらに嗜んでいた。

盆と正月には親戚一同が祖父母の家に集まることになっている。叔母は口数が多く、いつも僕の3歳下の従兄妹の莉奈を褒めていて、僕の両親、祖父母、叔父はその聴衆だった。僕が小学校1年生の時に新しく建てられた祖父母の家の床はフローリングだった。退屈だった僕はいつも床を眺めることしかできず、盆と正月はフローリングの溝を目で追ってあみだくじをする時間だと思っていた。

社会人2年目、24歳になった今でもそれは変わらない。話の中心は相変わらず莉奈で、今は大学のサークルの友達と旅行に行った話でㅤ盛り上がっている。男女5人で旅行に行ったらしく、そんな華やかな人種と血の繋がりがあることに驚きながらも僕は床の溝を目で追い、今27回目の全ルート制覇を達成した。ちなみに僕はあみだくじの全ルートを制覇することをあみだくじフルマラソンと呼んでいる。

急に母が「莉奈ちゃんと違って、あんたは細々生きてるねぇ」と言った。これをイジリととらえて気の利いた返しができるような人間だったらもっと楽しい人生だったのになと思いながら、「うん」と一言返した。みんなは再び莉奈の方に目を向けた。28回目のあみだくじフルマラソンは、気の利いた返しができなかったこと、「うん」を一言にカウントしてしまっていること、みんなが僕の発言に期待していないことなどをくよくよと考えながら終えた。

ふと思った。29回目のあみだくじフルマラソンは指で行ってみよう。四つん這いになって溝を指でなぞっていく。一瞬みんなが静かになったが、それを取り返すように莉奈と叔母のおしゃべりは続いた。29回目の走破を終えて、とても悲しくなった。四つん這いになっても何とも思われないってどうなんだ。注目されたいわけではないが、「何してるの?」とギョッとした顔くらいしてもらわないと、四つん這いになって床をなぞるのが当たり前だと思われてるみたいじゃないか、と思った。

30回目のあみだくじフルマラソンは耳たぶで床をなぞることにした。けっこう異様な光景だという自信があったのだが、何にも言われなかった。30回目を終えて僕は限界を迎えた。耳たぶで床をなぞるのが当たり前だと思われてる。そんなのってあんまりじゃないか。

ここにいたくないな、と思った。僕は家を飛び出すことにした。ことにしたが、このまま飛び出たら意味のない気持ち悪い行動をしただけになってしまう。少し考えた僕は、「お届けしたのは、ウィーン交響楽団でYeah!めっちゃホリディでした!」と叫んで家を飛び出した。溝をなぞったのはレコードをかけて音楽を流していたからで、自分の頭の中には優雅なメロディーがㅤ流れていたんだよ、という感じにしたかった。したかったが、クラシックの知識が無さすぎた。

夏が終わり秋になる頃、会社の同期にキャンプに誘われた。会社の食堂で昼休み一緒にご飯を食べているが、休みの日に会うのはこれが初めてだった。土曜日の夕方、キャンプ場でバーベキューをしながらワイワイと恋愛の話をするみんなの中でぎこちない笑みを浮かべる自分の表情筋を炭にしてしまいたいと思いながら、僕は学生時代のことを思い出していた。こうやって男女で泊まりがけで遊ぶことや恋愛をすることが、何だか自分には身分不相応な気がしていた。そしてそれを思慮深いと思っていた節がある。そんな学生時代を経て、今の僕には何もない。限界だった。

ここにいたくないな、と思った。トイレに行くふりをしてキャンプ場を出て、道路があるところまでひたすら走り、通りかかる車を待った。必死にアピールしたら最初に通ったトラックが止まってくれた。この行動力、他に使うところあっただろ、と自分にツッコミを入れつつ、トラックの運転手に話かけた。「どちらに向かっているんですか?できたら乗せてほしくて、、、」

30代前半くらいのその男性は僕が想像していたトラック運転手よりもかなり柔和な人だった。「俺はね、坂道発進が大好きなんだ。だから、エジプトに行ってね、ピラミッドで坂道発進したいんだ!このホイッスルはね、坂道発進の時に使うやつなんだけど、免許取った時にね、買ったの。」

なんかエジプトに行くらしい。いいじゃんいいじゃん、こういうのだよ!助手席に乗せてもらった。カーナビは三重県に向かっているが、三重を経由してどうやってエジプトに行くのか楽しみだ。

キャンプ場に残してきた同期のことが頭をよぎった。さあて、ずらかるとするか!と思った。

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