さあぶ-sunset
初めて卓球をしたのは確か7歳。サーブが曲がって嬉しくて、運動音痴だけどこのスポーツなら行けるぞ!と思った。
28歳の僕。さあぶを相手のコートに入れることができなくなってしまった。
平泳ぎで前に進めなかったり、鉄棒で一回転してるはずの体が鉄棒の下をゆらゆらしているなんてことばかりだ。ボールを思い通りにコントロールするなんて傲慢なのかもしれない。速さや回転を制御出来なくなったぼおるは、自分の感覚からどんどん離れていって初対面みたいにそっけない。ネットに突っ込んだり台に収まらず床に向かったりする。
けっ。僕はもっと仲良いと思ってたのに!ぷんすかぷんすかしながら卓球から離れてみて、そろそろ許してやっていいかと思ったころにさあぶを打ってみると、ボールの丸さ、重さ、音が心地よくて、やっぱりサーブを打てるようになりたいと思ったりする。
出せない出せるを繰り返してついに完全にさあぶの感覚がわからなくなった日、八つ当たりともいえる質問攻めを友達にしまくって「その動きの意味はなんだ」とか「長いさあぶと短いさあぶはどうやって打ち分けてるんだ」とかひとつひとつ確認していったらサーブが出せるようになった。
思い通りにならないこと、心地よさを感じること、愛憎入り混じって混乱が生じて、サーブがさあぶに、ボールがぼおるに感じる期間を乗り越えたり無視したりして日々は進んでいく。
別にこのままでもいいんだけど、心地よさを感じる割合を増やすには、ショーブにカツ方がいいのかもしれない。秩序に沿ってボールを把握できなくちゃ、ぼおるのままでは卓球に酔ってしまう。
心地よさと苛立ち。永遠なる無限。触れていたい夢幻。