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#10分で読める小説「風呂上がりの異文化交流」

今日は平日。午後四時を回った頃、私は家の近くにあるスーパー銭湯に足を運んだ。この時間帯なら、客も少なく、湯船も貸し切り状態でゆっくりできるだろうという目論見だ。

この銭湯は、都内のはずれにあって、観光スポットではない。しかし、ここ数年、外国人観光客が増えているのか、ちらほらと異国の顔立ちをした客を見かけるようになった。今日は平日なのに、どういうわけか大勢の客がいた。半分は外国人だ。

風呂場に入ると、一瞬、異国の温泉にでも来たのかと思うほど外国語が飛び交っている。肌の色も言葉も違うが、皆が同じように湯に浸かっている姿を見ると、不思議と親近感が湧くものだ。湯船に浸かりながら目をつむると、頭の中で勝手に「異文化交流」なんて言葉がよぎる。

私の正面には、特に目を引く外国人家族がいた。肌の色は日焼けしたような褐色で、きっと南国の出身だろう。親子4人が揃って湯に浸かっている姿は、どことなく微笑ましい。日本の風呂文化を楽しんでいるのだろうか、表情はリラックスしていたが、湯船に深く浸かる姿勢がぎこちない。まるで、浅いプールで足元を確認しながら、必死に立っている子供のようだった。

「おぉ、湯加減いいですね?」と話しかけたくなるが、やめた。無駄なトラブルは避けたい。彼らは観光客で、言葉も通じないだろう。下手に話しかけて困らせるよりは、こちらも黙って湯を楽しむのが賢明だ。

しばらくして、私は湯船から上がり、脱衣所に戻ると、浴室を出てすぐの自動販売機へ向かった。風呂上がりと言えば、やはりコーヒー牛乳だ。瓶を手に取り、蓋を回すと、「プシュッ」という小気味良い音がして、湯上がりの解放感が一気に広がる。ベンチに腰を下ろし、ゴクリと一口。うまい。これがあるから風呂が楽しいのだ。

そんな時、ふと先ほどの外国人家族が視界に入った。浴室を出てきたばかりなのか、皆、髪がまだ湿っている。が、彼らは何か困っている様子で、フロントの前を行ったり来たりしている。自販機の前をうろうろしては、商品を指差して何やら話し合っているようだ。何か欲しいのだろうか?

私は少し気になって、つい見てしまった。すると、家族の一人がコーヒー牛乳の瓶をじっと見つめているのが目に入った。「ああ、そうか、きっと風呂上がりに何を飲めばいいのか迷っているのかもしれない」と思った。日本では、風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むのが定番だということは、彼らは知らないだろう。

よし、ここは一つ、日本の風呂文化を教えてやろう。

私はスマートフォンを取り出し、翻訳アプリを立ち上げた。「日本では、風呂上がりにコーヒー牛乳を飲むのが定番なんですよ」と英語に翻訳し、画面を見せる。

「Look, in Japan, it’s a tradition to drink coffee milk after a bath!」

すると、父親らしき男性が、少し驚いたような表情で画面を見つめると、すぐに微笑んで「うんうん」とうなずいた。しかし、彼も、そして家族も、誰も口を開かない。言葉が通じないからだろうか、それとも単に礼儀正しいだけなのか、何かを言う気配がない。

「もしかして、お金を持っていないのかもしれない」と思った私は、ふと思いついて、フロントに行き、自販機のタッチ決済で3本分のコーヒー牛乳を購入し、彼らに手渡した。

「Here you go! Enjoy!」

無言のまま、彼らは瓶を受け取り、私に微笑んだ。そして、一斉にフタを開けて飲み始めた。

その時だった。

「ありがとうございます!」と、はっきりした日本語が聞こえた。えっ? 誰が言った? 周囲を見渡すが、他に誰もいない。振り返ると、さっきの外国人家族の一人、あの父親が笑顔で「いや、本当にありがとうございます」と流暢な日本語でお礼を言ってきた。

「えっ!?」

思わず声が出た。家族全員、さっきまで無言だったのに、まさか日本語が話せるとは思わなかった。しかも、かなり自然なイントネーションだ。彼はさらに続けた。

「僕たち、ハーフなんです。ずっと日本に住んでるんですよ。さっきはお湯が熱くて、ちょっとぼーっとしてたんですけどね、いやー、コーヒー牛乳、美味しいですね!」

私はその場で立ち尽くした。恥ずかしさがじわじわと押し寄せてくる。

「そうだったんですか……いや、こちらこそ、勝手におごっちゃって、すみません……」

「いえいえ、お気遣いありがとうございます。でも、次回は、逆に僕らがご馳走しますよ!」

なんとも気まずい感じのまま、彼らは笑顔で去っていった。私は一人でその場に立ち尽くし、まだ残っていた自分のコーヒー牛乳を一口、また一口と飲み干した。

その瞬間、心の中で小さく、いや、大きく突っ込んだ。

「なんだよ、日本在住のハーフかよ! 早く言えよ!」

次回から、勝手に異文化交流を押しつけるのはやめよう、と心に誓った。

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風呂上がりにコーヒー牛乳を飲む文化を広めるつもりが、逆に日本文化にどっぷり浸かっている人たちに教えてしまった。それでも、こうしたちょっとした出来事が、日々の生活をほんの少し楽しくしてくれるのだろう。

それにしても、次はちゃんと確認しよう。


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