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#10分で読める小説「渋谷駅新南口の記憶と今」

久しぶりの健康診断で渋谷へ向かうことになった。街の変化が著しい渋谷、新南口へと続く通路を歩くと、いつの間にかさくらテラス側に出てしまい、少し戸惑った。目の前に広がる洗練された光景に、かつての渋谷の姿が薄れゆく感覚に囚われた。

かつて、新南口にはローソンとマクドナルドが並んでいた。ローソンには朝の出勤前に立ち寄り、タバコやコーヒー、お菓子を買うのが日課だった。思い返せば、毎朝のように立ち寄っては、急いでコーヒーを手に取り、レジの列に並びながら今日の予定を頭の中で整理していた。あの店内の照明やレジ音が、朝の始まりを告げる合図のように感じられていた。

しかし、今その場所には何も立っていない。ローソンの跡地には「テナント募集」の文字が貼られているだけで、かつての賑わいはすっかり消え去っていた。その無機質な看板を見つめると、あの頃の日々が夢のように遠く感じられる。あの場所で買ったブラックコーヒーや、急いで掴んだお菓子の袋の手触りまで、今ではもう二度と味わえない過去の一部だ。

その空き地に立ち尽くし、周りの景色を眺める。変わりゆく街並みの中で、消えていくものもあれば、新しく生まれるものもある。それは街の宿命であり、渋谷の変化を受け入れる自分自身の一部でもある。変わりゆく街に、どこか取り残されたような寂しさを覚えながらも、新たな風景の中で過去を思い返す瞬間が、どこか愛おしい。

健康診断の帰り道、いつもの喫煙所に足を運んだ。もうタバコを吸うことはないが、あの場所にはかつての自分がいるような気がしていた。そこには変わらずに煙草をふかす人々の姿があった。街がどれだけ変わっても、人々の習慣や日常は続いていくのだと思うと、少しだけ心が和らいだ。喫煙所は静かに、当時のままの姿でそこにあり、時間の流れを忘れさせるような安心感を与えてくれた。

検尿や注射の手続きは未だに慣れない。病院の待合室で、久しぶりにテレビを眺めると、渋谷の街を行き交う外国人観光客の姿が映し出されていた。いつの間にか渋谷は、外国語が飛び交う国際的な街へと変貌していた。かつては日本語だけが聞こえていた場所で、今は多様な言語が響いている。それは渋谷の多様性を象徴しており、新しい時代の到来を感じさせた。

診察が終わり、渋谷の街を後にしようと駅へ向かう。新南口のエスカレーターを降りながら、ふと昔の自分が頭をよぎった。あの頃は、ただ毎日を懸命に過ごすことだけで精一杯で、街の変化など気にする余裕はなかった。それが今、こうして立ち止まり、変わりゆく渋谷に思いを馳せるようになっている。それは、自分がこの街で積み重ねてきた時間と、変わりゆく風景への一種の敬意なのかもしれない。

電車に乗り込み、窓の外に広がる渋谷の街並みを眺める。ビルの合間から見える空は、以前と変わらず青く、そこに流れる雲もまた、変わらない姿で浮かんでいる。変わったのは自分か、それとも街か。いや、多分その両方だろう。変わり続ける渋谷に身を置くことで、自分もまた変わり続けている。そして、その変化を時折、こうして振り返りながら、また新しい日常へと歩んでいく。

駅を後にし、帰り道を歩く。渋谷の新南口に立った今日の一日。街が変わっても、自分がここで過ごした時間と記憶は、決して消えることなく心の中に残り続ける。そして、その記憶があるからこそ、新しい風景にも心を開くことができるのだろう。新たな渋谷の風景を胸に刻みながら、また日常へと戻っていく。

渋谷、変わりゆく中で変わらない何か。それを探し求めて、またこの街に足を運ぶ。


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