見出し画像

#10分で読める小説「はずれ~見捨てられたアイスの木片~」

土曜日の20時30分頃、僕は特に目的もなく、いつものように池袋を歩いていた。理由のない散歩。ただ歩くことで頭の中を整理できるからだ。南池袋公園の近くに差し掛かると、公園内では大学生たちが何かのサークル活動をしているらしく、楽しそうな声が響いていた。ベンチにはひとりスマホをいじる男、少し先には寄り添うカップル。池袋の夜の風景は、今日もいつも通りの賑わいを見せている。

そんなありふれた夜の中、僕の目にふと映ったのは、道路の真ん中に無造作に転がる一本の木片だった。何の変哲もない、ただのアイスを食べ終えた後の棒だ。誰かが気にせず捨てたのだろう。最初はそう思い、何の感慨も抱かなかった。しかし、足が止まったのは、その木片に書かれていた「はずれ」という文字だった。

「はずれ」。その一言が、思いのほか僕の心に引っかかった。もしこの木片に「当たり」と書かれていたら、きっと捨てられていなかっただろう。誰かがそれを手にして、小さな喜びを抱えていたかもしれない。けれど、今この棒は捨てられ、ただのゴミとして道端に転がっている。たった一つの違いが、その価値を大きく変えてしまった。

ふと、社会も同じだと思った。誰もが「当たり」を引こうと生きているが、実際に手にするのはほんの一握りだ。そして、多くの人々は「はずれ」を引いては、見向きもされずに取り残される。社会の中で僕たちは知らず知らずのうちに、選ばれる者と選ばれない者に分けられ、振り分けられている。学歴や仕事、外見や能力、あらゆるものが僕たちの価値を決めていく。気づけば、僕もまた、この道端に転がる木片のように、誰かにとっての「はずれ」なのかもしれないと思う。

僕は改めてその木片を手に取ってみた。冷たい感触が伝わり、それがただの木の欠片だということを再確認させる。しかし、その「はずれ」という文字は、これまでに自分が感じてきた選ばれなさや、期待を裏切られた瞬間の数々を思い出させる。テストで期待していた点数が取れなかった時、就職で落とされた時、恋人に去られた時。そうした小さな「はずれ」の積み重ねが、今の自分を形作っているのかもしれない。

でも、それが本当に全てだろうか?選ばれなかったからと言って、自分が無価値だとは限らない。この木片だって、誰かにとってはただのゴミかもしれないが、今の僕にとっては何かを考えるきっかけになっている。選別されることが当たり前だと思っていたが、その視点が変われば、全く違う価値が見えてくるかもしれない。

僕は木片をもう一度見つめ、そっとポケットにしまった。それはただの木片で、価値のないものだと言えばそれまでだ。しかし、どう見るかは僕自身の捉え方次第だということに気づいた。僕たちは「当たり」か「はずれ」で評価されることが多いが、本当の価値はそんな選別の中にはないのかもしれない。

公園を通り過ぎると、周りの笑い声や会話が遠くから聞こえてくる。僕は静かに歩きながら、選別を恐れず、もっと自由に、自分の価値を認めて生きていこうと心に決めた。誰かの目に「はずれ」と映ったとしても、それが僕を定義するわけではない。


大切なお時間を使いお読み頂きありがとうございました。もしよろしければ感想、アカウントフォローをして頂けますと幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?