化粧をした文章に価値はない。ただ、その裏に価値があるというこの世界。
なかなか偏屈なタイトルですが、そのままの意味なのです。
アフィリエイト、ブロガー、商品紹介、エトセトラ……。
文字を並べてできたものに誰かが共感して、お金を払って試してみる。
買って良かったと思えれば、どちらも得をして。
買って微妙だと思えば、片方だけが得をする。
いかに買いたくなるような文章を並べるか。
そこに重きが置かれるのは、社会としては当然のこと。
でも、なぜか嘘くさいと思ってしまう。
哀れだと感じてしまう。
どれほど良い文章を並べても、その最後にはURLが貼られて、ここから飛べますと可愛らしい文字列が手を振る。
金を落としていく者を、手をこまねいて待っている文章たち。
そんなこと、気にしなければいいのだけれど、嫌悪感を抱いて、気持ちが悪いと思ってしまう。
なぜだろうと考えたら、そこには純粋な気持ちと共に「利益」が潜んでいるからだと知った。
邪―よこしま―とまでは言えない。
けれど、そこには、思っていなくても、金銭が絡む。
文章を商品のために書き連ねて、誰かがそれを見るように仕向ける。
マーケティングは儲けるためには必要なことだけれど、その文字列には既視感を覚えるばかり。
個人の感情なんて差し引いて、新規を掴もうと手を伸ばすための言葉、文字列。
一億人、数十億人から1%でも買えば、十分な儲けになるのだから当たり前なのでしょう。
どう見せれば売れるのか。
今の世界はそんな表面上を着飾ったものが溢れている。
文字には何も罪はない。
文字を扱う人間が邪なだけ。
話術は人を洗脳する。
誰かの言葉が頭に刻まれる。
大勢の人が良いと言えば、頭が良いと決めつけてしまう。
着飾ったハリボテに、自分の時間を消費して自分を壊されていく。
人の真偽は判別がつかない。
最終的には自分で決めなければならない。
けれど、どこかで他人の意見が脳裏に刻まれる。
それが本音の邪魔をする。
自分を見失いそうになると思った時には、すでに自分は何かに置き換わっている。
自分もまた、文字のように着飾って、価値があるように見せようとする。
価値のないものを、いくら混ぜ合わせても、砕いた中身は空っぽでしかない。
あとがき
共感してくれる人が居るのかどうか分かりませんが、最近、見かけるネットの文字たちは、どことなく似たようなものばかりだと思ってしまうんですよね。(;'∀')
それは誰かを誘い込むための「誘惑の文字列」であったり、足下を見たような文章であったり。
もうすでに世界は、人間はAIに飲まれつつあるんだろうなぁと、ひしひしと感じます。
人間味のあるものなんて、最終的には利益と進化の前に消えていくのでしょう。残ったとしても、それは誰かを操るための意図的な人間味。
この世界に真実を求めていても、なにも得られないような気がします。