個人的なもの「賢さ」と「頭が良い」について
「あなたは賢い」
なんて言われたら、ちょっと嬉しかったり、「バカにしてるだけでしょ」とイライラしたりしませんか。
その相手によって、言い方によって、受けとり方が異なるとは思いますが。
私の場合だと、Fラン大学に行っただけの私が賢いなんてありえないなぁ……なんて思ったり。
ということで、少し言い訳のように見えるかもしれませんが、「賢い」と「頭が良い」は違うということについてお話します。
私なりの解釈・感覚ですが、ご興味あればこの先も続けて読んでくださいませ。(_ _)
まず、「頭が良い」から話していこうと思います。
これは単純に記憶力のことを意味しています。
勉強ができる人たちが、なぜ勉強ができるのかと言えば、この「頭の容量・使い方の比率」が大きいからだと思います。
一方で「賢い」とは、視野のことを意味しているだろうと思います。
簡単に言うと「二つ以上の物事を同時に行える」ということ。
「頭が良い」と「賢い」は、似て非なるものというよりは、天秤にかけられた状態だと、私は思っています。
パソコンでいうメモリは、頭の回転の速さのようなもの。
コアとは、マルチタスクが可能な個数のこと。
(間違っていたらすみません・・・・・)
でも、いくらメモリが良くても、コアの数が少なければ器用貧乏となります。
逆にコアが多くても、メモリが不足していれば器用貧乏となる。
「あの人、頭は良いのに、周囲のことを考えて動かない」
「あの人は人柄が良いのに、どこか抜けている」
頭が良くても何かが欠けているのは、一つの物事に対して多くのメモリとコアを使っているからであり。
優秀そうに見えるのに実は天然というのは、マルチに思考を使っているから、メモリが不足しコアをバラまいている状態を意味している。
ほとんどの人はこの二種類に別れるのではないでしょうか。
よって、「不器用な人」は多いけれど、「何も出来ない人」は居ない。
ただ、頭のコアの使い方が不器用なだけ。
不安、失敗、検証、過程、結果……その後の展開……再構築……。
「なにをしても上手くいかない」
そんな人は、様々な計算を知らないうちにしてしまっているのではないでしょうか。
「していない」ということはないでしょう。
大丈夫、そういう人は一つのコアを戻せば上手に生きられる。
「集中力」というメモリを上げるには、「不快な状態」を緩和しなければならない。
「同時進行が可能な数」というコアを効率よく動かすには、「不快な環境」を整えなければならない。
ほとんど人の能力に、そんな大差はない。
「誰かよりも早い、誰かよりも高く跳べる」
それはコンマ1.2を争うだけ。というと失礼ですが……。
つまり、気負いすることはないということです。
争い、競争は進化をもたらしますが、同時に負の感情も生み出します。
「他人を見るというコア」を「自分を見つめるためのコア」に変えるだけでも、小さな一歩が踏み出せます。
そして、自分ができることを知る。自分ができないことを知る。
成長に劇的な変化はないけれど、坂道を登れば景色はよく見える。
足元を見て歩き、上を向いて「あともう少しだ」と踏み出す。
人は進化できなくても、成長をしていく生き物です。
頭のメモリとコアがもう少し上手に使えれば、世界はもっと見渡せるのかもしれません。
ということで、賢さについてのお話を終わらせていただきます。
お読みくださりありがとうございました( _ _)
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