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友
人の心は意識的に必ずどこかに存在しています。
それが脳なのか心臓にあるのか、場所は分からないけれど、この感情を操作しているのは、少なからず心が関係していると私は思う。
私は「群れる人間」を見ることがあまり慣れていません。
夏場のビーチもプールも、ボウリング場でも街中でも。
楽しそうに見えるグループの姿が、自分には手の届かないもののように感じるからなのかなと思っていました。
私には持ちえないものだからと思っていました。
でも、考えてみれば、楽しそうならそれでいいと思う自分も居ます。他人に迷惑をかけないなら、別にそのグループがなにをしていても気にならない自分が、確かにそこに居るのです。
なら、私はなぜ「群れる奴が嫌い、または苦手」なんだろう。
考えてみれば……。
その場しのぎの楽しさに、私はあまり価値を見出せない。
その場しのぎの感情に、私はあまり良さを見出せない。
行動をするからには、なにか得られるものがあるはずだと思う。
ただ、そこに「偽物」が混じってしまうと、純粋な成長や得られるものが混沌に染まる。
それは濁った絵の具の水のようなもので、純粋な心を失っていく様と等しい。
ヨゴレを体感することで、人は純粋さを失っていく。
集まっているグループ、表面的には楽しそうに見えるのに、誰かは誰かが嫌いで、好きで、本当は一緒に居たくもないと思っているのに無理して遊んでいる。そこに他の仲間が居るから仕方なく遊んでいる。
私には、そう見えて仕方がない。
私は友人の誰かと話をしている時、他の友人の話になっても、そこに陰口はない。
ただ、談笑しながら最終的には「ここに集まってるメンバーって、全員が変わっている」という話に落ち着く。
全員がある程度の素直さを持っていて、相手を想う気持ちを持っていて、嫌だと感じることはしない。
直した方がいいと思うことはあるけれど、別に直さなくても個人の性格なのだからと別に気にしない。
近すぎず遠すぎず……、本音を言い合うことは少ないけれど、馬鹿を言い合い笑い合う。
私も、友人たちも変わり者だけれど、良い奴しかいない。
だから、困ったことがあれば助けたいと思う。悩みがあれば解決したいと思う。
隣の芝生は青く見えると言うけれど、友人に関しては、私は今のメンバーが丁度いい。
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