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人生は遠回りしないと気づけない事ばかりであるという教訓

25歳くらいの頃に

スタバでMac開いてカタカタしてる人達って何やってるんだろう?
そっち側になってみたい。

という理由だけでMacを買った。結果何も得なかった。
これがステータスなのかと。

左指でWindowsのshort cutを覚えてる自分にとってiOSは数秒カタカタスピードが落ちる。これがストレスで直ぐに使うのをやめた。スクロールや変換もWindows仕様に設定変更していたのでだったらもうWindowsでよくね?と思い今はMicrosoft社製のLaptopを使っている。振り返ってみるととんだ遠回りだった。

こういう事はよくある。ワクワクする音が聞こえてくる方にいってみても自分の知識や理解が追いついていないとそこでの体験は無駄に近い形で終わる。

例えばアートにも同じ事が言えると思う。
知識のない人がピカソの絵を見ても落書きにしか見えないだろうし、NFTで数百万円の価値が付いている小学生の描いたドットアートだってなぜそんなに高値で出回っているのか理解が出来ないだろう。

トレーディングカードだってそうだ。ちょっと高級そうな光沢の紙にドラゴンみたいなモンスターとその名前、能力の説明が書かれたカードには恐らく何の魅力も感じられないと思う。

だからある程度使う側のリテラシーも伴っていないとどれだけワクワクする音の方へ向かっていっても閑古鳥が鳴いて終わるレベルの体験で終わってしまう。

でも振り返るとあの時遠回りして良かったなとも思える事はよくある。
冒頭の事案でいうとスタバにいるMacユーザーを見てMacに触れてみたくなり、実際に使ってみて自分には合わない事が分かった。
その理由はショートカットキーを左指が覚えていて左指とMacの相関性がWindowsと比べるとかなり劣っていたからだった。逆に言うと今まで定かではなかったPC選びの軸が出来た。

軸とはOS、キーボード配列、デザイン性の3つである。これはMacを買わなければ気づけなかった事でもあると思うし、この軸を満たさない無難なPCを使い続けることになっていたと思う。これらすべてを満たしているのがLaptopだった。今もPCのビジュアルを見ているだけでも所有している事に対しての満足感がある。このコラムを書いているのもLaptopだが、タイピングをしていてもキーボードの静かさとタッチのし易さには感動しながら執筆している。

経験なくして難癖を付ける批評家ではいたくない。
これからもワクワクする音の方には尻尾を振って飛び込んでいきたい。それが例え振りかえってみた時に遠回りだったと感じるような事であったとしても。

写真は外苑前にあるスターバックス青山二丁目店でバチバチにLaptopで決めたもの。多分一生Microsoft社製のLaptopを使っていくと思う。マジでいいっすよ。


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