人生というゲームは案外イージーゲーム
僕は小学3年生の頃にポケモンのルビーをゲームボーイアドバンスごとカセット諸共盗まれてからゲームは一切やらなくなった。
あれだけ一生懸命育ててきた僕のグラードンやレックウザが奪われたんだから9歳の僕にとってはあまりにも過酷な現実だった。
また盗まれて同じ思いをするくらいならもうやらないと誓ってからゲームには触れてない。スマホゲームもだ。
ただ唯一やり続けているゲームがある。
それが人生という名のゲームだ。このコラムを読んでくれている方は人生をゲームとして捉えた事はあるだろうか。
例えば、
どんな人でも1度くらいはこんなプランをイメージした事があるだろう。
まさに人生ゲームだ。(人生ゲームやった事ないけど)
しかし20歳で社会に出て所謂、普通の人生を歩む事、代表的な例で言うと
クレヨンしんちゃんやサザエさん、ちびまる子ちゃんのような一家みたいな’’普通’’に見えていた生活を送る事は実は資本主義国家において難しいんじゃないかと感じた。
その背景には物価の上昇と会社員の上がらない賃金がある。
みさえとの結婚式を挙げるにも数百万円の費用とそれから生活をするにも毎月の食費や住居費、光熱費も永遠に掛かる。
しんのすけとひまわりを養って2人成人するまでにも少なくとも4000万円は掛かる。
サザエさんのように桜新町に庭付き5DK戸建を建てるとなると世田谷区の坪単価から見ても2.6億円は掛かる。(HOME’S公式サイトより)
いったいこれのどこが普通なのか。
いかにも普通の生活かのように映っていたあの平凡な家庭が’’上流家庭’’に見えて仕方なかった。
果たして僕はこんな’’普通’’の生活が送れるのかと。怖くなった。
20代前半にして結婚をして子供も産まれている同級生を見ると凄いとしか思えなかった。自分にそんな財力や覚悟はなかったからだ。
僕の家庭はどうだったかというと弟が1人居て父と母、愛犬の家族4人+1匹で暮らしていた。
父は大手に勤めておりのちに聞いた話だと年収は1000万を超えていて、
昔、こっそり棚を開けて見た通帳には冬季、夏季賞与でそれぞれ3桁の金額が書いてあった。
それでも母は専業主婦ではなく弟が小学校低学年くらいになるまでは内職をし高学年になるとパートに出ていた。
当時は家の財産事情も父の仕事もよく知らず、周りの友達が1パック5枚入りの遊戯王カード150円を躊躇なく買っていたので周りがお金持ちに見えてしょうがなかった。
中高でも部活終わりにコンビニでお菓子やジュースを買ったり、野球道具を新調したりとなんでそんなにお金を持っているんだと。
僕はお年玉を掻き集めたり、親に交渉をして条件付きでやっと買って貰えていた。
でも振り返ってみたら年収1000万は国内の上位5%であり、決して苦しい家庭ではなくむしろ周囲が憧れる世帯だった。「なんだお金持ちじゃないか、20年間騙されていたのか?」と思った。
それなのになぜ母は専業主婦ではなく仕事に出ていたのか。
子供に奨学金という負担を負わせないのが親の務めであるという母の考えから優雅な暮らしを捨て、お金遣いの荒い父のお小遣いも確保しつつ、貯金に回していた管理能力の高さ、経済力の高さにある事を20代の頃に知り、今でもとても感謝している。
振り返れば、車も一括購入だったし、旅行などここぞという時は出し惜しみをしなかったので味を占めて旅行時は僕はひたすらジュースをおねだりしていた。可愛いものだ。
それにも関わらず僕は数千万円の借金をして不動産を買ったという話は置いておこう。。
話を戻すが、僕は所謂「普通の生活」が送る事は出来ないんじゃないかという不安から、怖くなってお金の事を調べ尽くしとにかく学んだ事を行動に移した。
そうしていくうちに資産が段々と増え人生というゲームは案外イージーゲームである事に気付いた。資本主義ハックの瞬間だった。
例えば10年間で1000万円を貯めるのには年間で100万円、月に8.4万円を貯めて漸く到達する。
しかし、サラリーマンの信用力を使って年収500万円の人が年収の8倍である4000万円の都心3〜5区不動産を金利0.5%前後の住宅ローンを使って実需用で購入すれば、不動産価格の上昇傾向から出口100%〜でのリセールはある程度底堅い。
つまり35年後に4000万円の資産が作れる。
先ほどの10年間で1000万円と比べてみると年間で114万円、月に9.5万円の資産形成が出来る。
他にも、今まで貯金が出来なく散財をしていても月に●万円は米国株やETFに自動積立をしておく事でアメリカ企業、Googleや Appleの成長と比例して自身の資産も指数関数的な曲線を描きながら膨らむ。
これらには複利の力が味方に付く。
スノーボール(雪玉)をイメージすると分かりやすい。最初は小さな雪でも転がしていく内にどんどん大きくなっていくあの現象だ。株式投資にも同じ事が言える。
そう考えると自分でも野原家のように、磯野家のように、さくら家のように普通の生活を送ることも案外難しい事ではないのではと思えてくる。
むしろ人生というゲームがイージーである事に20代で気付けた事が大きい。まもなく30歳のステージに到達するが僕のスノーボールはこれからどんどん大きくなっていくだろう。
50歳時点では会社勤めをしなくても生きていけるであろうイメージも出来るようになった。
今の僕の人生ゲームの楽しみ方としては50歳時点でなくいかに前倒しして「人生の自由」を手に入れられるかだ。
武装が出来てきた。これからもっと強い武装が出来る。
そして色んなライフイベントから時には重要な選択をしないといけない場面が待ち受けていたり、敵や特別なキャラクターとの出逢いも待っているかと思う。
そう考えるとSUNAO(※僕の本名)という主人公で設定したLevel.0からのRPGも面白くてやめられない。
人生はイージーゲームだ。
写真は人生で最も良い体に仕上がった時のもので2年前の25歳の頃の写真だ。腹筋を割るのだって割る為に経た過程と身に付いた知識は資産そのもの。6パックだってイージーゲームだ。
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