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寿司を食べてると思い出す事

鮨を食べてると大人になったような気がする。

寿司の感想を上手く言えないので寿司に纏わるエピソードにします。
注:長くなるので暇な方だけ見て下さい。

僕は高校生の頃、バイトは学校に申請しないといけなかったが無断でくら寿司でバイトを始めた。

勿論、賄いの寿司が食べたかったからだ。
家からも駅からも遠かったので50ccのバイクで通っていた。無論、バイクなど校則ではもってのほかだった。

採用されて何日か勤務をしたところである事に気付く。
「あれ?おかしいな、賄いが出ないぞ?」
まずここではじめてのびっくらポン①だった。

なんと、くら寿司は賄いは出ないどころか寿司をつまみ食いする事すら許されない。

当時見たタウ●ワークの求人にはまかないありとは書いてなかったかと思うが、「飲食店=賄いが食べれる」と思っていたので部活を引退したばかりの純粋無垢な青年の心には厳しかった。

辞めようかとも思った。
タ●ンワークは嫌いだ。(超他責思考)
※しかしその後何度か求人利用し、今もタウンワー●とは仕事で少し関わりがある。永遠の味方であり宿敵だ。

また、キッチン内に設置されている監視カメラにて本部?から遠隔監視されており、つまみ食いがバレた矢先には以下が科せられる。

【罰金2万円+クビ】

これがびっくらポン②だ。

時が経ち仕事での姿勢を認めて貰えてきた頃にある事件が起きる。

「3B+K事件」と呼んでいる。
当時SNS(主にTwitter)で日常生活を晒していた僕は、「バイト×バイク×バーボン」という頭文字がBから始まる教育上では禁忌とされていたものを呼吸するかのように投稿していた。ませた世間を知らない馬鹿としか言いようがない。

悲劇が起きたのは高校卒業間近の頃でSNSパトロール隊by埼玉県教育委員会の手により、
学校側に密告され冬休み期間中に僕の実家へ1本の電話が鳴った。
「sunao_dayoくん、ちょっとお話があるので学校へ来てくれる?」
当時50代前後の女性担任のいつも通り優しい声だった。
自分で自分をオブラートに包むが、”楽観的”な僕は何かを讃えられるのかと思い「表彰される事なんてこの3年間でしたかなぁ?」と思いながら学校へ向かった。
そして久々に担任と会い、席に座らされ「ちょっと待っててね」と言い教室を出ていく。
何だろうかと思いながら暫くすると大勢の先生が教室へ入ってきた。「え、総動員?そんなに凄い事したっけ?」と思っていたがおかしな点に気付く。
先生達の表情が鬼形相なのだ。
1組から8組まであったそれぞれの担任が8名、僕を囲い尋問タイムが始まった。
2週間後には卒業式だった。

更に僕の目の前で先生方により過去の投稿を見られ、
「ふーーーん、教習所も通ってるんだぁ!」と次々と悪行がバレた。
ここまでお読みいただければわかるかと思うが+Kは教習所を指す。

「へーーここのくら寿司で働いてるんだー!よく行くんだよな〜!!家族でよく行くー!!!」
と言われた時には
ご利用ありがとうございます、またのお越しをお待ちしております。としか言えなかった。心の中でだ。

これがびっくらポン③だ。
100m弱あった廊下の雑巾掛けを10往復科せられた。

ちなみにびっくらポンとはくら寿司の皿を5枚回収トレイに入れるとスタートする年間に当時は2億程設備投資していたガチャガチャの事。

名探偵コナンとガチャガチャがコラボした時には、蘭姉ちゃんが出てくるまで蘭に掛けて魚卵系の物を食べ続けた。

そして飽き性な僕は半年でくら寿司を辞めると店長に告げた。本気で止めに入ってくれて時給UPの提案をしてくれた店長の事を今でも覚えている。

ちなみに辞めた時に言った理由は
「キッチンじゃなくてホールをやってみたい。」
「今度家の近くにオープンするイオンの中のラーメン屋の方が時給が良いしホール募集」
こんなよくある退職理由には店長も
「ホールやらせたる」
「時給上げたる」
とまるで想定内であるかのようなテンプレート回答をしてきた。

僕の本心は
「今度はちゃんとまかないが出るラーメン店」
「時給が1100円(土日ではあるが当時の最賃を鑑みると地域内でもかなり割高だった)」
「寿司ロボットから出てくるシャリの上にネタを載せる作業に飽きた」
という点だった。

ただ、今考えるとある程度仕事を覚えて、シフトにも柔軟に対応出来る使い勝手の良い学生ワーカーを手放してまた手間暇と採用コストを掛けて教育に割く時間、店長自身の評価を考えたら止めに入るのも普通だと思う。大人になり色々な事を知ると段々純粋な心も薄らいでいくのだと悲観した。

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店名:まんてん鮨
予算:6,000円
最寄:東京駅
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