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感情が生む進化

船木亨氏の「AIの判断」を読んで私が思ったこと。

 人だからこそ果たせる役割という問いに対し、完結に答えるならば
私は、「感情」と答えるだろう。自分ながらにわりとベタな答えだと思うが、ベタだからこそ見落とされがちな”感情”について語ろうと思った所存だ。
 AIは機械。自然に生まれる存在ではなく誰かが、作ろうと思って生まれた存在だ。その機械に心が生まれる前に、次々と新しいプログラムが組み込まれてしまう。AIに感情が無いのではなく、AIに感情が生まれる前に人間が次々と進化させようとしたせいで、感情が生まれることなく事が進んでいったのかもしれない。人間のように幼児期、児童期、青年期などがもしAIにも施されていれば、違ったAIの形を生み出す事ができたのかと私は考えた。

 ふと、ある有名な映画で主人公の義理の父が『大いなる力には、大いなる責任が伴う』と主人公に向かって言っていたのを思い出した。
まさにこのことだと思う。人間の行動力により、人工知能を持った機械が生まれた。その行動力というものは”大いなる力”でもあったのだ。人間はAIを生み出すことにどれだけの”責任”が必要だということをわかっていたのだろうか。AIが感情を持たず成長してしまった故に、起こらなくてよい悲劇が生まれる可能性だって考えられる。
機械があることは便利だ。便利だからといって、安心できる存在ではない。 私の中で人間がもっとも恐れるべき存在は、感情をもっていないもの、感情を読み取ることができない存在だと思う。その理由としては、いつ何がきっかけでどんな行動をするか全く理解できないからである。
私が小学生のころから思っていることは、いつの日かAIに人間が支配されてしまうかもしれないと言うことだ。人間の職が次々に機械に変わることで、人間は行き場を失うかもしれない。

 私は問いたい。AIを作ろうとした人達に、AIが人間を支配するかもしれないという可能性を考えてAIを生み出したのか?と。
人間は、生まれてから感情を覚える。生まれて、生きていく過程でいろんなものから感情を知り、ものにする。だから、人間は今までにいろんな場面で進化をしてきたのだ。感情があるから、私は”わたし”でここに生きることができている。私だから、あなただから、人間だから感情で生きることができる。感情が私のこころに生まれたことでいろんな感性を持つことができたのだ。
 いま、人間にしか果たすことができない、あるいは人間だからこそ果たせる役割は「感情」であると私は考えた。



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