嘘のない美しさ――八木奈々×福島裕二写真展「 と 」
東京・原宿のアトリエYで今日から始まった、八木奈々×福島裕二写真展「 と 」を観に行ってきました。
私は八木奈々さんの作品が大好きです。憑依ってわけじゃないけど、感情、そして涙――その没頭した透明な美しさに虜になる自分がいるから。八木奈々さんって、この世界で「役を超えた“嘘のない”表現する」というスタイルを確立した女優さんだといっても過言じゃないと思います。
珠玉の言葉たち
そんな八木奈々さんの写真展、まず驚かされたのが、本人が出迎えてくださったこと。「人見知りなんです」なんていいながら、初めて会った私の目をまっすぐ見て、魅力を語ってくださいました。
作品はそんなご本人を「そのまま」表わしたもの。
まず、ステートメント。何度でも思い出したくなります。
この「私のどうしようもない部分を見透かされてしまいたくなったのです。」って凄い。
人を撮る写真って、まず写真家と被写体の関係があり、そして、その先に見る人と作品の関係があります。「どうしようもない部分を見透かされてしまいたくなった」という言葉の前提には、真っ直ぐ自分自身が写し出されなくてはならないと思うんです。そのことに嘘のない純粋さで挑んだ八木さんならではの言葉なんだなと感銘を受けました。
人を撮る意味をまたひとつ、教えてもらった気がします。
このステートメントの横に「はじめに」と、現時点ではご本人の握手の形を石膏で取った「ハンドオブジェ」、そして正面の写真「レタードレス」と、3つのQRコードによる音声ガイドが付いています。これも必聴です。
全部を書くのは憚られるのでしませんが、「はじめに」では、今日までの日々をたどっていく中で、八木さんの中に常に浮かんでいた言葉がこの「と」であること、「と」のカギカッコと文字の間は、幅の違う余白になっているのですが、これは、これからのこと、まだ見ぬご本人自身への期待が込められていることなどが語られます。
「レタードレス」について、八木さんがまとっているドレスは、デビューしてからの5年間で、実際に受け取ってきた手紙たちなんだそう。そして、写真展の開催が決まった時に、一番最初にした言葉が「手紙のドレスを作りたい」だったそうで、ドレスに込めた思いが語られます。
さらに「ハンドオブジェ」についても、込めた願いが語られます。
イヤホンを忘れて来場してしまったのですが、ぜひ鑑賞前に聴くことをお薦めします。
「と」の意味にまた、思いを馳せる
これらの言葉を反芻し――八木さんの曰く「一歩一歩、読むように一枚一枚をめくるようにゆっくり」と――写真を鑑賞すると、さまざまな思いが交錯します。
しかし、それは――また八木さんの言葉になりますが「ご来場いただいた人の数だけ」――見方があるのでしょう。
私が感じたのは、等身大の八木奈々さん。それが何分も目を止めてしまうほど、その瞳を見つめたくなるほど美しい。嘘のない美しさです。八木さん曰く(今日はこればかりだ)、滲みもなにもかもそのまま写し出しているそう。私は「作品」としてのレタッチなどは全否定はしませんが、剥き出しとも違う、素顔のままの写真で、ここまで美しさを感じられたのは、幸せ、という言葉になるのでしょうか。ありのままで身体の空気を全部入れ換えられたような。
ステートメント、そして音声ガイドに加え、今日は八木さんご本人から直接、いろんなエピソードを聞かせていただきました。
言葉を添えているのも私らしいかも。
涙を流している写真は、写真展をやるんだ、という始まりと、不安から自然とこぼれた涙。
“縛られた”写真の意味、その前後の意味
――こんな言葉に誘われた「まっすぐ」な写真たち。そういえば、今回の写真にヌードはありません。そんなことがどうでも良くなる、本当に美しい写真たち。
たったひとつ、心の残りがあるとすれば、それは私が「と」の意味が分からずに、未だ考えて続けていること。しかし、それはまたこの写真展に足を運んだとき、図版を見返したとき、そしてこれからも、考え続けることなのかも知れません。それは、八木さんとの繋がりがこれからも続くことでもあります。
会場を出るとき、お礼に加え「階段に気をつけてくださいね」と優しい言葉をかけてくださった八木さん。
会場を出た今でも、その美しい優しさの余韻に浸っています。
写真展は12月22日まで。最終週にはまた別の楽しみも。そして、12月9日からは、新宿・北村写真機店でも並行して開催されます。