撮影を愛する人間として、迷惑系撮り鉄を考えてみた
いわゆる「撮り鉄」をめぐり、またまたこんな記事が出ました。
【独自】“撮り鉄”が駅員に「ボケ!アホ!」安全ルール守らず“ハイビーム”で応戦され罵声「階段ビクビク6丁目!」意味不明の声も(FNNプライムオンライン 2024/11/11)
ホーム騒然…撮り鉄に“対抗策” ハイビームに飛び交う罵声(テレ朝ニュース 2024/11/12)
レアな車両の撮影で、黄色い線から下がらない、といった安全ルールを守らない撮り鉄が迷惑になっている、というものです。
以前、気になる記事を読みました。
どれだけ批判されても「撮り鉄」が迷惑行為をやめない理由 一般人には想像できない“内輪の意識”とは(AERA dot.2024/03/26)
この記事は撮り鉄について、
趣味としての鉄道の人気は異様なほど高くなっている
珍しい車両や引退前の列車が走るなど、鉄道のイベントがあると、それがどこであっても、あらゆる年齢層のファンが押し寄せる
SNSに写真を上げて注目を浴びたい人が劇的に増えている
と書いています。そして、迷惑系撮り鉄が増えた背景に、カメラの進化と、SNSの普及があるとしています。
うーん、考えさせられますね。
カメラが進化する⇒誰でも“いい写真”が撮れてしまう⇒裾野が広がる⇒写真を撮る人が増える
SNSが普及する⇒誰もが「公開」できる⇒写真を人に見せたい⇒人とは違う写真を撮りたい
写真家の母数が増えれば、迷惑をかける人も増える。1割の人が迷惑をかけていると仮定すると、今までは10人のうち1人だったのが、100人になれば10人になってしまう……。
この手の撮り鉄をめぐり、公募展などで鉄道写真を出している何人かの「鉄道写真家」に話を聞いたことがあります。彼らの意見は、
あれは一部の迷惑な撮り鉄がやっていること
自分たちは配慮して撮っている
といったものでした。確かにそうなのだと思います。
でも、一般の人からすれば、
鉄道を撮る人=みんな撮り鉄
と見なされてしまうことは否定できないと思います。だから、「自分たちは配慮して撮ってるから」では結局、
撮影行為=迷惑行為
に将来、陥りかねないと、大変危惧しています。
以前、鳥を撮る~喜びと懸念と という記事を書きましたが、カメラの進化によって、カメラの機能に躍らされないように、と自戒するとともに、鳥の撮影が迷惑系撮り鉄みたいにならないよう、常に心がけています。
ある公園へ鳥を撮影に行ったとき、大きなレンズを付けたカメラを持ったバードウォッチャーがたくさんいて、鳥を追いかけていました。
確かに鳥を撮りたいのは自分もそうなのですが、鳥を脅かしていること、公園を跋扈して、一般の公園利用者に迷惑をかけていることになぜ気が付かないのかと、とても心配になりました。
写真を撮ることは楽しいこと。でも「自分は違うから」では、結局写真=迷惑行為となることを助長してしまうのではないか……。
みんなで真剣に考えなければならないフェイズに来ていると思うのは、私だけでしょうか。
迷惑撮影行為を他人事にしない
撮影者同士、マナーを現場で共有する
一般の人にも理解されるような撮影を心がける
こんな思いが写真家に共有され、これからも皆さんと楽しい写真が撮れたらいいな、って思います。