第2回:砂子塾長の熱血ドラテク持論
反射行動はNG危険感受性が大事だ
話はまた少年時代にさかのぼる。チャリンコでの競争。これも誰しもがやったことだろう。オレは勝てなかった。住宅街でのバトル。カーブミラーが付いている四つ角はアウトインアウト目一杯を使って、コーナリング。ボトムスピードを落とすことなく加速体制に素早く入る。
ところが、見通し悪いカーブミラーがない四つ角では先が見えず、クルマやほかの自転車、はてまた通行人が来るかもしれず、「もし何かあっても」避けられる速度まで減速するものだから、全開(?)でその交差点に入るヤツラに大きく離されてしまっていた。
「よく怖くないな…」子供心にそう思ったが、そこでの負けは不思議と悔しくはなかった。そう、今回のテーマは「危険感受性」。
あるとき、チャリに乗りながら友達にいわれたことがある。
「砂子は後ろばっかり振り返るよな…」
「だってクルマとか怖いじゃん」
そんなふうに返した記憶がある。一般的にはレーシングドライバーは危険感受性が乏しいと思われるかもしれないが、それは大変な間違いだ。レーサーほど危険に敏感で、「もしも」を考え、予測し、備える生物はいない。
クルマの運転は反射行動を取ってはならない。というより、その反射アクションに至らぬよう予測し、その手前で考えたアクションを起こしていくことが望ましい。それは一般公道でも鉄則である。たとえ、レースのサイドバイサイドであっても、相手のアクションを予測し、アクションプランをわずかコンマ何秒の時間内で立てる。最も危険感受性が必要な場面といえよう。
ヒヤリとしてハッとなった瞬間は危険予知できずに反射行動になる。それこそ危険感受性欠落の瞬間なのだ。サーキット・一般公道とも考えたプランをアクションする。それが鉄則である。危険なスポーツの代名詞、スカイダイビング。10年以上前によく飛んでいた。その仲間のひとりが高所恐怖症だった。
おいおい、どうして高所恐怖症のヤツがスカイダイビング?(笑)。そいつがいうには、扉が空きっぱなしの小型プロペラ機で離陸していくのだが、離陸から少々時間が経つと怖くなくなるそうだ。実際の飛行機からのEXITは高度3,800m、離陸からちょっとの100~300mぐらいまでは怖いが、それ以上の高さになってくると、まったく高さの現実感が薄れて怖くないらしい。落ちたら死亡は200%… であることは同じはずなのだが。
これと似たものがサーキット走行日常ドライブにもある。広さがそのスピード感覚を狂わせる。よくヒヤリとしたのがウエットの鈴鹿マッチャンコーナー。その手前の低い速度のヘアピンから加速して… 見た目のタイヤのグリップ感に対して、実際のスピードとコーナリングフォースに若干のズレが生じやすい箇所だろう。
電車でのホーム。必ず、白線ギリギリでは待たない。そして、必ず、万が一に備えて線路内の逃げ込めるサバイバルスペースを探す。歩行者時の交差点。道路際に立つオバサマが、反対的に信号が赤に変わった瞬間に歩き始めた。そこにクルマが…。「おい!」とオレはとっさに大声で叫んだ。そのオバサマは足を止めて振り返り、怪訝な表情でオレを睨みつけた。危険だったことにすら気づいていない。
日常における危険感受性。多くの人がオレからすれば欠落し過ぎているように思える。その方達からすれば逆に思えるだろう。危険なレーサーという職業だったのだから。『リスク』は=『刺激』でもある。危険なスポーツに臨めば臨むほど、繊細な危険感受性が必要になる。
ちなみに、スカイダイビングには予備パラシュートが義務づけされている。あってはならない万が一。それがなければ飛べるはずもない。危険感受性は「予防策」を生む。
なんとなくストレートスピードが「速い」と感じてスロットルを緩める。それは防衛本能であり、立派な危険感受性である。日常からサーキットまで、危険感受性はアナタの安全を守っているのだ。