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名古屋嬢の憂鬱と東京娘の憧れ「大学で東京に出るか否か」

先日、大学時代の友人の誕生日を祝ってきた。女子3人とは思えぬ量のワインボトルを空けてしまい、明細を見て驚いたけれどそれを差し引いても楽しいと思える空間への価値はやはり計り知れない。

彼女たちは大学で出会った友達で、「入学式で隣だった」というハリーポッターの3人組を彷彿とさせるかの様なドラマティックな出会いを果たしており、以来ずっと3人でつるんでいる。出身が名古屋、仙台市、私は東京と首都圏で分かれていることもあり、地元トークの都会としては似てるけどちょっと違う部分も面白い。

私たちの母校は55年ぶりに箱根駅伝出場が決まったことが話題のミッション系大学(ここまでいうと隠す意味もない)なのだが、名古屋の友人が興味深い話をしていたので残しておきたいと思う。

※前提、学歴でも出身地でも人を図ることはできないと思っているけれど、この手の話題に敏感な人もいることは理解しているつもりだ。一部描写が誰かにとって不快に当たる可能性がないとは言い切れない。その上で読み進めていただけたらありがたい。

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名古屋出身の彼女には歳の離れた受験生の妹がいる。姉妹はとても仲がよく、進路選択のタイミングで「お姉ちゃんの大学に行きたい」という言葉が出ることを家族は予想していたらしい

ちなみに姉の方は英語が堪能で、我が母校の中でも英語に特化した学科に入るために上京した。私は英語に憧れはあるものの実力としてはさっぱり苦手なので、彼女に対しては尊敬しかない。

ところが妹は特に「その大学に行きたい」理由が姉以外にないということで、家族から名古屋を出るなと反対されている、とのことだった。ちなみに家族からは「お姉ちゃん(私の母校)と同じくらいの偏差値で、ちょっとミッション系ぽくて、ローカルだけど良い私大」をごり押しされているとのこと。

姉の方はというと「そこは“名古屋なら”知らん人はおらんし、友達もかなり通っているから、その大学の良さは重々知ってる。けど、これはもう【東京に出たい】っていう意志の強さの戦いなんよ。戦争」と笑っていた。その隣では仙台の子がめちゃくちゃわかると頷き倒しながら、仙台も同じだとグラスを煽る。

この瞬間、私は彼女が少し羨ましかった。私の知らない、そしてもう今からでは持ち得ない「東京ではない故郷」が彼女たちにはあるのだ。名古屋の人にとって超有名な大学、の様に「ローカル的に共通言語になっているもの」がバックグラウンドにあること。方言を含め何一つそれを持っていない自分を少し淋しく感じた。

結局その話し合いは「東京の難関とも(その大学が)提携してるしお姉ちゃんのとこよりええやろ」というよくわからない論理の飛躍により、妹の東京行きは一旦幕を閉じたとのことだった。

テレビドラマも含めて今話題の「少年のアビス」の原作を初めて読んだときに、ここだけの話、秀逸な作品ということを頭で理解はできた反面、実は私の中の感動レベルは結構低かった。その理由は自分でもよくわかっていて、自分には「故郷」がないから、圧倒的にキャラクターたちの感じている心情の核に対する共鳴の度合いが低いのである。東京出身にお高く止まって、馬鹿にしているわけでは全くない。

東京に出たい」という願望、切望が如何なるものなのかがわからないこと、それを経験したことがないことは人として一つ強い願いを胸に抱いて成長する機会がなかったことでもあると思っている。夏休みや年末年始に「帰る」場所が東京と切り離された土地にあることにも、幼い頃は羨ましさすら感じていた。私は祖父母含めて東京にいるため、地続きの日々の中で帰る場所がない。家はあるから厳密にはあるのだけど、それは単にいつもの日常の一コマに続く帰宅であって、帰省とはちょっと違う。

少年のアビスはフィクションによる誇張が多少入っているとしても、地元に縛られるしがらみは少なからず本当に存在している。それは愛でもあり、ときに温かなものなのだと思う。でもその毛布の様な温みを「断ち切る強い意志」を持ってくれたからこそ、楽しくワイングラスを傾ける今があると思うと、少し嬉しかった。


2022.10.23
すなくじら


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