【第三章 時間的価値/そこにあるのは希望】
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❝人々には『未来』などない。あるのは『希望』だけだ❞
<哲学者 イヴァン・イリイチ>
「そうか、わかった…」
墓ありじいさんは、息子からの電話を切り、大きく深呼吸した。が、そのあとすぐに崩れ落ち、誰もいない広い家で大きな声をあげて泣いた。
その電話は、息子の二番目の孫が息を引きとったという連絡だった。
身体があまり丈夫でなかった孫だったが、成長とともに解決していくものだとそれほど心配はしていなかった。
しかし、親である息子夫婦は違った。
小さな病院から総合病院を紹介してもらい、検査入院、そして手術を行ったが、手術をしても治る見込みは100%ではなく、その後は病室で1年を過ごし、先ほど息子夫婦に抱かれて死んでいったという。
8歳だった。
♢
孫の葬儀が終わってしばらくすると、息子から電話があった。
「妻が娘をまだお墓に入れたくないと言ってるんだ…」
孫の遺骨をまだ家に、自分のそばに置いておきたいと言っているらしい。彼女の気持ちはよくわかるので、四十九日を迎えても、納骨はまだしない方がよいのかもしれない。
ある日、墓なしじいさんから、いただき物のおすそ分けを取りに来ないかとの電話があった。
さっそく、墓なしじいさんの家へ向かった墓ありじいさん。お茶を飲みながら、息子夫婦の話をしてみた。
「そしたら、『手元供養』がいいんじゃないかい?」
「手元供養?」
なんでも、遺骨の一部をペンダントなどのアクセサリーにしたり、手元にのせられるくらいの小さな骨つぼにしまい、家のなかで供養するスタイルがあるそうだ。
定期的に購入しているシニア世代向けの雑誌にその情報が載っていたと、その雑誌をみせてくれた。
掲載誌を広げると、特集ページのところに、じっさいにその手元供養をしている人たちが紹介されていた。
一人はブレスレットに、もう一人は写真立てとセットになっている陶器製のミニ骨つぼを、仏壇とは別にリビングに置き、そこには花もそなえてある。
一見すると、遺骨が入っているようには見えないそれらは、ファッションのアイテムの一つ、インテリアの一つのように見える。
墓ありじいさんは、そのページをスマホのカメラで撮り、息子にLINEで送ることにした。
LINEをみた息子から、こんな返事がきた。
『ネットでも、よく似た感じのものをいろいろ探しているよ』
さすが、若い者は情報収集力が違うなと思いながら、墓ありじいさんはこうも伝えた。
『お墓にすべてを納骨しなくても、一部だけを手元に残すのはどうかな。
お墓には母さんもいることだし』
数日後、息子から返信がきた。
『父さんの言うとおり、母さんが眠るお墓に納骨をして、一部を手元供養することに決めたよ。妻も、納骨の日を、娘と母さんのご対面の日だと思うようにしたみたいだ』
そして、四十九日の納骨法要の日。
前日から、こちらに来ていた息子家族は、骨つぼをはさみ、川の字になって、家族4人で最後の夜を過ごした。
妻の命日が誕生日だった孫の納骨。
妻の骨つぼの横に、孫の骨つぼが並んだ。そこにいる誰しもが、孫が妻のもとへ帰るのだと納得しているようであり、ふたりが今、一緒に私たちに手を振っているようでもあった。
墓ありじいさんはこう思った。ここに自分もいつか一緒に入るのだと。
そう思うと、死はそれほど恐れるほどのことではないように感じた。
そして同時に、もっと長生きして、妻と孫におもしろい土産話をたくさん持っていかなくては、とも思った。
もっと、生きよう。
いのちを、しっかりと生き切ろう。
じいさんが、こんなふうに前向きな感覚になったのは、妻が亡くなって以後、初めてだった。
「それまで、待っててくれよな」
読経が終わり、住職が帰り、みな墓の前を去ろうとしたとき、黄色い蝶々が二匹飛んできて、墓石の上に止まった。
黒い石の上に止まった黄色い蝶々を見つけた孫は、指をさして叫んだ。
「ばあちゃんと妹だ!」
二匹の蝶々は、数秒間そこに止まっていたが、その後、ゆっくりと順番に私たちの頭上を飛び回るようにして、去っていった。
続く。
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