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Filmarker

高校生くらいから映画を見漁りだした私はFilmarksを使っている。
はじめは、鑑賞後markボタンをポチッと押すだけだったけど最近感想文も記録している。

当初から、⭐︎評価はお気に入りの作品の高評価だけにすること、マイナスな感想は書かないこと、というこだわりがある。そして映画かぶれや上から目線じゃなく、できるだけピュアな文章を綴るのだ。

Filmarksの存在を知る前は鑑賞記録用のInstaアカウントで投稿していた。
ぴあフィルムフェスティバルとご縁があって自主映画というものを知った頃、snsは制作者と鑑賞者が言葉で容易に繋がれるめちゃくちゃいいツールだと思った。


あーなんかいいものを見たな〜というとき、InstaかTwitterで作品を検索すれば、同じ鑑賞をした人のつぶやきを見つけることができる。制作した人の活動や近況がすぐにわかる。オフショットとか制作者の生の言葉とか、そのsnsを訪れたら垣間見える作品制作の裏側がある。こんな良いsnsの使い方はないぞ、と思った。
自分もアカウントの鍵を外して感想を記録したり、卒業制作だった自主映画のことを呟いたりした。PFFで上映や配信をしていただいたとき、知らない人が自分の作品を見てくれているのを投稿で知った。不思議な気持ちだった。世界が一気に広がった気がした。10代のあいだにとても得難い経験をさせてもらえた。
今も時々Filmarksのmarkが更新されている。私の映画に辿り着いて見てくださった人、本当にありがとう。


snsにある言葉たちは、誰が見てるか分からないし、見ていないかもしれない。でもこうしてここに記して投稿しておけば、誰かが目撃する可能性が生まれる。
いつか誰かにそっと届く言葉になるかもしれない。でも1番は映画を見て感じたことをただ言葉にしておきたい。
そんなようなことを頭の片隅に置きながら、素直に作品と対峙する鑑賞の時間が好きだ。


Twitterは特に、オープンなようでアンダーなような空間に言葉を投下する。その軽やかで深い言葉たちに喰らってしまう。大変難儀で魅力的なアプリだった。
今や青い鳥は崩壊したので、もう消してしまったけど。


そんな背景がありつつ、Filmarksって鑑賞専用のsnsなのでは、とやっと閃き、今はFilmarksに記録をしている。

最近映画のmarkが500を超えた。
この蓄積がなんだかうれしい。
気づけば1人でいるとき1番楽しいのは映画とアニメを観ることで、それは中学生くらいの頃から変わらない。こんなにずっと変わらないものは他にないかもしれない。好きな気持ちが後押しになってあの高校を選んだし、20で一人暮らしをして1年半経つ今も映画を観る時間は私の心と頭をほぐしてくれる、なくてはならない存在だ。


clipは増え続ける。

映画に愛を込めて。

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