『Fate/SN』のアニメ化成功とコンテンツのマルチバース化
オタク界隈における「マルチバース」
『fate/HF』を見終わり感じたのは、物語とキャラクターの圧倒的な重層感だ。ノベルゲームにはあまり明るくはないが、明らかに小説やマンガとは情報量が異なる。
例えば小説やマンガであれば、複数の世界線が描かれることはほとんどない。『ワンピース』で、ビビが麦わらの一味に加入したルートが描かれることはないだろう。
本来であればプロット段階などで切り捨てられていたであろうifの物語が、ノベルゲームでは「ルート」という形で描かれる。
『Fate/SN』の3つルートをそれぞれアニメ化することにより、衛宮士郎と3人のヒロインによる三様のボーイ・ミーツ・ガールが描かれた。異なる環境や人物相関によって、主役級の人物像はより重層的に違う一面を見せる。
同じキャラクターたち、同じ設定で、異なるストーリーを描く。こうしたマルチバース型の作品は、「オタク文化」に慣れていない人からすると異様な作品に映るのではないだろうか。『スターウォーズ』でいえば、ルークがレイラ姫とくっつくルートが公開されるようなものだ。
しかしアニメやゲームに傾倒する人種は、当たり前のように「アニメのシンジは嫌いだけど、『貞本エヴァ』のシンジは好き」といったおかしな会話をする。同一人物じゃねーのかよという感じだろう。
オタク界隈におけるマルチバース的な展開は、なにも最近に限った話ではない。例えば『機動戦士ガンダム(ファースト)』でいえば、アニメ、小説、漫画(origin)でそれぞれ話が違う。アニメと漫画は、別解釈や補完という言葉で片付くかもしれないが、小説は完全にルート分岐といえる内容だ。最たるところを挙げると、アムロが……(一応、伏せておく)。
マルチバース型のコンテンツが業界を支える
「マルチバース型コンテンツ」は原作枯渇が叫ばれるエンタメ界において、救世主たる表現方法だろう。
『Fate』は15年、『エヴァ』は25年。掘れば掘るほど世界観が広まるコンテンツの寿命は長い。マルチバース型コンテンツが当たれば、数十年単位のプロジェクトになる。
例えば『ひぐらしのなく頃に』のリメイクからも、こうしたコンテンツのタフさが伺える。個人的には、『ひぐらし』がリメイクされるほど時間が経ったのかと、ぞっとしない心持ちだったが……。
実際に、漫画やラノベでもマルチバース化が見られ始めているのは興味深い。
『僕は勉強ができない』と『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』では、ヒロインごとのエンドを描く「ルート」の概念を取り込まれた。これを天下のジャンプ作品と電撃文庫でやるということに、時代の変化を感じる。ラブコメで「負けヒロインが存在しない」って、すごい話だ。
ただ悲しいかな、ノベルゲームは衰退の一途を辿っていると聞く。分析はその道のマニアに譲るが、これだけ娯楽が多様化する現代にあって、ノベルゲームは少々重いのだろう。
アメコミ文化と『Fate』の実写化
原作の枯渇は日本だけの話ではなく、ハリウッドでも叫ばれている。それに加えて、動画配信サービスもこぞってオリジナル作品で争っている。世界中で、喉から手が出るほど骨太な原作が求められている。
『Fate』が大資本で実写化されるのは、そう遠くないだろう。
そもそも「ルート分岐」という概念は、アメリカのほうが受け入れやすいはずだ。アメコミは、同じキャラクターたち、同じ設定で、異なるストーリーを描くーーマルチバース型の作品が当然の文化となっている。
映画の世界でも、いまや世界最高のシリーズ作品となった『アベンジャーズ』が並行世界の概念を取り入れている。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』でも日本独特の「死に戻り」が賞賛されたように、「ルート分岐」の文化が広まる土壌はすでにあるのではないだろうか。
『Fate』を『アベンジャーズ』ばりのプロジェクトで実写化すれば、FCU(フェイト・シネマティック・ユニバース)の実現も夢ではないと思う。ソーが有りなら、英霊もOKだろう。※正確にはTCU(タイプムーン・シネマティック・ユニバース)だろうか。
……と、これは別に『Fate』を実写化してほしいという話じゃない。
僕はufotableが描く、あの美しい地方都市の冬木市にこそ、死にたいくらいに憧れる。何気ない風景の薄皮一枚向こうで、魔術師たちの戦争が繰り広げられているかもしれない。そんな幻想が、いつまでも治らない中二病の諦観を満たしてくれる。
けれどもう、『Fate/stay night』のアニメ化プロジェクトは完了してしまった。原作を追っていないニワカな自分でさえ喪失感を感じるのだから、熱心なファンのダメージは相当なものだろう。結局ところ、積み重ねてきた物語が大きいからこそ、終わったときの寂しさも大きいのだろう。
だから何年も楽しめるマルチバースの世界が現れることを期待して、つらつらと駄文を連ねてみた。
まあ「TYPE-MOON展」の展示を見た感じでは、『hollow ataraxia』の映像化を狙ってる雰囲気があふれ出していたし、舞台挨拶でもその辺はチラっと言及されていた。まだ映像化が続くことを期待したい。
ここまで付きあってくれて、ありがとう。オチはない。
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