ブラック企業を退職する時に起こる事(2)
前回の振り返り
卒業か 就職どちらか一つだけ 気づけば3月 崖っぷち
いい感じに語呂が良くなった。
はじめてのしゅうしょく
学生用の就職支援サイトなどを使って自分で探した企業へ面接に向かう。
今もだが、筆記テストが生理的に嫌いなので、面接のみの所を選んだ気がする。
3月にまだ募集しているくらいなので完全にお察しレベルの会社である事は想像に難くないが、働いている人はいい人が多く、「人だけ」みると僕は結構好きだった事を辞めた後に気づいた。
同時に、人だけでは会社に残り続けるのは無理だということも気づいた。
入社当時
新入社員は僕を含めて8人くらいだった。
たしか東京本社に4人、地方に4人くらいだったと思う。
新人研修を終えて、まず最初の脱落者がでた。
地方に配属された新人が突然「パン屋になりたい」と言い残して消えた。
これを皮切りに地方組が連続して脱落していき、1年以内に本社4人と地方1人の合計5人になったが、このうちの4人は2-3年くらいは持ったと思う。ちなみに僕が最後の生存者で約5年で退職した。
ブラック企業での毎日
ここからはブラック企業の具体的な毎日を記載していこうと思う。
新人で本社に配属された後は、よくあるOJT(On the Job Training;実地研修)を経て経験を積むのが一般的である。
しかし僕がOJTで付いた先輩はいわゆるダメ社員のエリートみたいな人だった。
何がすごいかというと、とにかく周りへのアピールがすごい。
人懐っこい外見と笑顔を最大限に活かしながら、自分のテリトリー(営業エリア)が如何にポテンシャルが低いか(=だから売上が悪いという予防線)を事あるごとに周りにアピールしながらも「俺、仕事めっちゃしてるぜ」という見せ方がとても上手かった。
朝8時には会社を出発して営業先に向かうので、仕事している感はとても出ていた。向かう先はパチンコ屋だけど。
一緒にパチンコやろうと言われたが、車内待機する事が精一杯の抵抗だった。
その後「パチンコ嫌いか?じゃあメダルゲーム行こう。メダルたくさん使っていいぞ!」と謎の気遣いをされた。
そこじゃねえだろ。
精神的な追い込み
僕とその先輩は明らかにタイプが違った。
その先輩は先にも書いた通り、人懐っこい雰囲気のいわゆる「ザ・営業」タイプ。
対して僕はというと一見すると真面目そうだったので、その先輩からすると脅威に感じていた様子だった。
新人に対抗意識燃やすなよ、と言いたいが、この手の営業は時流を読んで上手く社会を泳ぐタイプなので、新入社員の様なまだ毒か薬かわからない様な不純物についてはとりあえず懐柔と攻撃を試す傾向がある。
サボりという懐柔が効かなかったので、お次は攻撃のフェーズに入った。
といっても物理的な攻撃はできないので精神的な攻撃である。
ちなみに先輩自身に製品知識は皆無なので、業務における具体的な指摘はできない。
そのため、どう答えても正解がない抽象的な注意をする事で相手からの反撃を許さない方法を取る。
解決法について話すのではなく、受注を取れなかった事そのものに対するダメだしで、人格否定を伴うものだった。
具体的に行うことは非常に単純で、ひたすら飛び込み営業をさせて心を折る。そもそも飛び込みをしてすぐ売れる様な製品ではなかったので当然いきなり売れるわけもないのだが、それをいいことに徹底的にダメ出しをしてくる。
これは僕のキャラというかタイプを見ての判断だったと思うので、心を折る方法としては良い選択だったと思う。
嫌がらせは効かないと意味ないし。
この様な理不尽な叱責も何回かなら大丈夫だが、ゴールを明示されず無意味な事を毎日やらされるとある日突然精神に来る。
お客様も営業に対して良い対応をしてくれる訳もなく、リーフレットを渡して説明しようとすると、無言で奪われてそのままゴミ箱にダンクシュートなんて事もあった。お前は本当に人間か?
この手の話は長くなるので機会があれば別のnoteに書こうと思うが、いずれにしてもこの攻撃も耐え抜く事ができた。
皮肉にも研究室でのブラック体験が生きた瞬間だった。
(一部)尊敬できる先輩との出会い
何とかサボりエリートの数ヶ月に渡るOJTを終え、次の先輩につくことになった。
今度はうって変わって高度にバランスが取れた人で、僕の営業としてのベースはこの先輩から盗んだもので形成されていると言っても過言ではない。
知識がありながらも真面目一辺倒ではなく、僕が目指していた知識とキャラを使い分ける営業だった。
難点があるとすればとにかく厳しかった。
人を殺せる様な鋭利な単語を使う人で、これに慣れるまでには1年以上を要した。
営業なので、お客様から注文を取ってくるのだが、一度僕が回ったお客様をその日のうちに再度回り、僕が取りこぼした注文を取ってくる。
ここまでならフォローしてくれる先輩、なんていい人!で終わるが、そんな訳はない。
先輩が帰社後、前回の先輩では結局1度の発注処理もさせてもらえなかった為、慣れない発注処理を四苦八苦しながらしている僕の前に立ち、取ってきた注文書を僕に投げつけて一言。(比喩ではなく本当に投げつける)
「お前こんなに取りこぼしてやる気あるの?」
いやだってこの営業エリアは先輩のエリアなので人間関係出来てますよね、僕まだ入社して数か月ですよ、とは口が裂けても言えず、ただ謝るしかなかった。
やっと独り立ちしてこの地獄から解放されると思ったら、なんの罰ゲームか、その先輩が持っていたテリトリーを丸々担当する事になった。
当然先輩は抗議していたが、そのまま会社と喧嘩して退職、競合会社の営業として僕の営業エリアに戻ってきてお客様を取り合うというサバイバルが展開された。
その頃には僕も少しおかしくなっており、その状況を楽しんでいた。
文化的で最低限度の生活
こんな生活をしていると、いわゆる文化的で最低限度の生活などできるはずもない。
与えられた営業エリアが一般的に良い(お金を持っているという意味で)とされる所だったため、目標数字は他の新人の3倍となり、殺人的な業務量となった。
時間が足りなすぎて朝6時には家をでて帰ってくるのは0時過ぎの日々。当然それだけでは済まず、三連休以上の休みには必ず1~2日出社し、少しでも仕事を減らすというのが普通だった。
いいエリアには競合会社が鬼の様におり、1つのお客様に対してほぼ同じラインナップを取り扱う会社が20社以上ひしめき合っていた事もあった。
その頃、当時の彼女(現奥さん)と同棲を始めたが、ご飯を食べながら寝ている事も珍しい事ではなかったし、コーヒーショップなどに入ると高い確率で寝ていた(らしい)。ほんとごめんなさい。
あまりの忙しさに食欲と睡眠欲という本能すら選択しなければならないほどの日々だった。
その為、当時の記憶が極端に少ない。
その日
そしてその日は突然やってきた。
仕事中、車で運転をしている時に何の理由もなく涙が流れてきたのだ。
流石にこれはヤバいと直感し、具体的に転職を活動を再開した。
再開とかいたのは理由があり、実は入社3年目くらいには転職を狙っていた。
しかしちょうどそのタイミングで同期や後輩が会社を辞めたいと言っており、それなら後はやっておくから早めに脱出しろと送り出しているうちに2年ほど経過していた。
もう優先的に脱出させたい同期や後輩もいなかった事から、業務の合間を縫って転職活動を進めた。
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