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君に名前を付ける。

創作の物語を見様見真似で書き始めてからしばらく、登場人物に名前を付けることが出きず、主人公は「私」という一人称で書いていた。
名前を付けたら、途端にフィクション感が増す、と言うか、嘘くさくなる、と言うか、自分の手から離れてしまう気がしたからだ。

思い返せば、初めて創作の物語を書いたのは小6…
400字詰め原稿用紙2枚、800字以内で小説を書くという宿題が出た。
図書館に通って、探検ものみたいな小説シリーズを夢中で読んでいた僕は、その宿題にのめり込んで書いていた。そうして出来上がった小説は先生に褒められクラスの皆の前で先生が朗読してくれた。
僕はいい気になって、卒業文集の10年後の自分は、「小説家」と書いていた。
高校の頃はよく詩を書いてバンド仲間に見せていた。文や詩を書いているとなんだかワクワクした。
大学の頃はよく音楽雑誌のレビューの投稿を応募していた。結果、一度も載ることはなかったが、ゼミの先生にどんな仕事したいの?と聞かれ「ライターになりたいです」と言うと「合ってると思う」と言ってもらった。

しかしながら、小説家にもライターにもならず、折しも就職氷河期、ありつける仕事に食らいついて、就いた仕事は福祉業界。

社会に出るとそれなりに文章を書く機会が出てくる。その殆どが堅苦しいビジネス文書だったが、文章を組み立てるのが楽しくて全く苦にならなかった。いつの間にか、僕は上役の挨拶文のゴーストライターを何年もやることになっていた。

就職した頃、インターネットが普及し始めた。
当時はホームページビルダーとか、adobe pagemillとかで、自力で自分のホームページを作る時代。それはそれでなかなかに面白かった。

当時、Diary Webというサイトがあって、利用登録すると自分の日記のページが持てて、他のユーザとコメントし合う交流が出来た。
今でいうnoteに近く、当時は画期的なサイトだった。
そして、mixiが登場し、その2年後にTwitterとFacebookが登場した。

僕はmixi〜Twitterに乗り換えながら、ずっとブログサイトで散文を書きまくっていた。Webに文章を書くことがライフワークになっていったのだが、思い返すとしっかり推敲とかしていなかったし、相当セルフィッシュな書き方をしていたと思う。さして深い意味のない隠喩や、抽象性の高いものをよく書いていた。

娘が生まれ、幼稚園〜小学校低学年くらいの時に、知り合いから一冊の童話集をもらった。
表紙に素敵な絵に載せて「童話の花束」と書かれていた。
それはENEOSホールディングスの社会貢献事業、童話の文学賞の入選作品集だった。
一般の部、中学生の部、小学生の部まであり、応募総数は毎年1万作品を超える。
入選作品には、何と、プロのイラストレーターが作品の内容に合わせて絵を書いてくれる。

早速、娘に読み聞かせをしてみたが、まだ娘の年齢では難しいようで、当時娘はあまり関心を示さなかった。関心を示したのは僕の方だった。

とにかく作品のクオリティーがめちゃくちゃ高い。
基本は童話なので創作ものなのだが、どうしたらそんな発想が出てくるの??というものすごい作品ばかりの夢のような童話集だった。

そして、郵送分の切手を送るだけでバックナンバーを送ってくれた。

僕はウズウズしていた。
この文学賞に、自分も応募してみたい…。

童話といっても与えられているのは「心のふれあい」というテーマだけで、
2,000字まで、という字数制限。(考えてみたらかなりモノカキングダムに似ている)

そこから僕は毎年2,000字のお話を書いて「童話の花束」に応募を続けた。
いつもはたいして推敲もしていなかったが、応募作品ともなると何度も何度も読み直し、書き直し、ここの助詞はこれでいいのか、などとギリギリまで悩んでいた。

6年応募し続けたが、結果、入賞はかなわず、「童話の花束」は2022年に終了してしまった。
審査の経緯は全く公表されないので、自分の書いたものが、1次選考、2次選考…、どこまでいったのか、箸にも棒にもかからなかったのかすら分からない。
童話の花束以外にも、出版社主催のエッセイコンテストなどにも応募したが、入賞者に名前が載ることはなく、東京新聞の300字小説で1回選ばれて掲載されたくらいだった。
あぁ、何だかやっぱり自分の文章はなかなか人の目に止まらないんだなぁ、なんて思っていた。

ある時、エッセイコンテストで応募した出版社の人から電話がかかってきた。
「今、応募作品の整理をしていて、◯◯さん(僕)の作品を読みまして、審査では残念ながら落選したようなのですが、私としてはよく書けていると思いまして…。普段どんな執筆をされているのですか?」
という電話だった。
思えば、その電話は自分が書いたものが初めてプロの編集者から評価された出来事だった。それが書く原動力になり続けているかもしれない。

話が「童話の花束」に戻りますが…

何年目かの挑戦で、僕は初めて登場人物に名前を付けた。
これはその時書いたお話を少しnote用に加筆修正したもの。

「名前を付ける」ことにチャレンジしようと思ったわけではない。
単純に、登場人物に名前を付けないとストーリーが進まないのである(笑)
お話は、クラスでからかわれてしまった子が、休み時間に友人に話しかけられ、その後は二人の会話が続いていく。
だから会話の中で、「◯◯ちゃん..」と名前が入らないと不自然なのである。
僕は意を決して登場人物に名前を付けた。
2人の小学生、地味な名前がいいな。特に主人公は少し古風な名前にしよう。あー、こうやって名前を考えていくのか…
主人公はフミエちゃん、友達はサトミちゃんになった。

いざ、名前を付けてみると、自分の手を離れるどことか、登場人物への愛着がグンと増した。
これは面白い。
1度名前を付けてみると、それからは名前を付けることにハードルがなくなり、楽しくなってきた。
と言うか…
名前を付けないでストーリーを展開させる方がよっぽど難しいということに気付いたのだった。
「私」だけで主人公を描こうとすると、主人公が飛び抜けてキャラ立ちしていないといけないし、3人以上の登場人物がいると名前を付けないで進行させても読み手には分かりづらい。他の登場人物にもそれなりに個性を描こうとすると「私」「あなた」だけでは書ききれないし、ストーリーに広がりようがなくなってしまうことに気が付いた。なんてこった、こういうことか(笑)

それから書いたお話は、割と名前を付けるものも多い。

片思いされていることに気づかずに、別な子に思いを寄せる鈍感男、ユキオ。

3人の男が登場して翻弄される河出美咲と、ルームシェアする友人の川上葉子。

メガネで黒髪の、ぱっとしない図書館司書、栞さん。

モヤモヤと水槽のような世界で生きる、熱帯魚と会話が出来る女の子、ハル。

空想の世界で悩みながら、金色のカギを持って、ほんとうの世界へ出発するプーラン。

こうして名前を付けた登場人物に愛着がわき、僕の大切なキャラクターになっていった。

仕事での文章書きも変化が出て、ここ数年、広報に力を入れるようになってきて、読み物系の文章の仕事が増えてきた。
自分で全部書いたり、ざっと粗めの文(素材)をもらって加筆したり整えたりをしているのだが、どうしても自分の好きなテイストに寄ってしまうので、もっとたくさんの人の文章を勉強しないといけないし、自分が書いたものも、もっと多くの人の目に晒したい。

良いプラットフォームないかなぁ、と思っているときに、あるエッセイに出会った。
僕がこれまで読んだエッセイの中で、いちばん衝撃を受けたエッセイ。

しまだあや さん
「今週末の日曜日、ユニクロで白T買って泣く」

これほど心の奥の熱が体に浸透するような感動を起こすエッセイを読んだことがなかった。

書かれたプラットフォームはnoteだった。

僕はWordPressからnoteに引っ越した。
noteに引っ越してから約2年。
書くことに本気な人たちがひしめくnoteの世界は刺激がすごい。面白い。

今年はどんな文が書けるんだろう。
今年はどんな文が読めるんだろう。
もう少し深くnoteにこだわってみたいと思う。

2025年が始まりました。
明けましておめでとうございます。

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arji