函館本線の悲劇

私は、大莫迦者である。それは、破滅に繋がるような、目も当てられないような、間抜けで、慌てん坊で、白◯とも形容できるような、呼吸をするだけで惨めになるようなものだ。今日は、そんな僕の失敗談の、星の数ほどある中の小惑星にあたるようなひとつをつまみだし、お話をしてみようと思う。

その日僕は、神戸の友人宅から大阪の梅田に出て、レトロな喫茶店で量産的なエモに浸ったあと、飛行機で北の大地へと足を踏み入れていた。夏の暑い日だ。夕方新千歳空港へと降り立った僕は、𝕏(旧Twitter)で知り合った知己であるtくんと邂逅する。ちょうど豊平川で花火大会が行われる日であったから、青春を謳歌している若いつがいどもに紛れてでかいカメラを振りかざし、花火大会を撮影することにしていた。

僕は低血圧だから、水分をたくさん取らねばならない。その時も、大塚製薬のスポーツドリンクを1リットル平らげ、淡い青春の思い出の味のレモンティーや、北の大地特有の麻薬であるガラナなど、実に様々な飲み物を飲んでいた。横にいるつがいの目が痛い。そんな中撮影を続けていると、大会はフィナーレに入り、大仰な花火が連続したあと鳴りを潜めた。大会は終わったのだ。観衆に感動や夏の思い出などを刻み、その幕を閉じる。

それはそうと、終わったならば急いで札幌駅に向かねばならない。そう、その日宿泊する小樽のユースホステルの最終入館時間に間に合う列車まで、時間がないのだ。歩く。人の波を掻き分けて、ときにはモーゼのように声を出し、海の中に一筋の希望を見出しながら、淡々と札幌駅を目指す。間に合った。乗る予定であった函館本線の普通列車に無事乗り込むと、tくんは次の駅で降りていった。

国鉄時代の客車を思わせる車内で、旅情に浸る。お茶でものみながら、読書にでも耽ろうと本を取り出す。札幌駅のキヨスクで買ったお茶を口に含んだその刹那、背筋に冷たいものが走る。そう、尿意である。忘れていた気になっていたが、花火大会の会場で、途方も無い量の飲み物を飲んでいたのだ。窓の外には「手稲」の文字。終点であり、目的地である浪漫の街・小樽まではあと30分ほど。気づいたときには、荒れ狂う河川はもう堤とスレスレになるまでに水位が上がり、堤防が決壊するまでそう遠くない、もう先はない、そんな様相を呈していた。絶望である。

この車両にトイレはあるのか。きっと無いだろう。そう思った。人間、絶望の渦中にあると、どうも負の連鎖の思考に陥るもので、その時も、車内に救いのオアシスがある可能性を頭の片隅に置くこともなく、なんなら真っ向から否定していた。救いのオアシスと書いたが、オアシスで得られるものとは真逆の行為を望んでいるのかもしれない。それはさておき、5分が経過した。長い長い時間だった。生命の誕生から、人類の進化、文明の発展、そして滅亡。そんな雄大なテーマに思索を巡らせるほど、長い時間だった。

そうしている間にも終わりのときは着々と近づいてくる。「旅の恥はかき捨て」と囁いてくる悪魔を頭から追いやるのに必死になりながらも、もう楽になってしまおうかと思う自分がいる。

もう間に合わない。正気を失った僕は走り出した。意味もなく走った。驚きの表情を浮かべる客、悲鳴を上げる客。そんなもの僕には届かなかった。

その時、僕の目には扉が映っていた。考える力を奪われていた僕は、獣のように、貪り食うように飛びつき、扉を開けた。

そこは天国だった。文明に囲まれて暮らす我々の日常の1ページにも過ぎないような、ごく当たり前の、誰でも享受している幸せ。こんなに有難いものだったのかと思わせる。どこにでもあるようで、肝心なときに限って自分の近くに無い。そんな性質が嫌になる日もあった。ここは汚いから、と他を選ぶときもあった。でも、ささやかな幸福は眼前に広がっている。1畳にも満たない空間に満たされた普遍的な喜び。涙が溢れ出んばかりの感動を胸に、僕は……

その時。荒れ狂うその川の堤防は、ついに崩れ落ちてしまったのだ。

R.I.P.

いいなと思ったら応援しよう!