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◆2023年は…◆

2023年は、厭な事が多かったけれど、自分で分かっているのは、お金はさして入らなかったけれど、文句を言わずに良く働いた、と言う事だ。

私はA型人格で、何かやっていないと楽になれないたち。休みや、休日は、あんまり好きではない。自分が一人暮らしだと謂う自覚を感じるのが孤独で耐えられない事だから。

反省点:ひたすら、無理したのはいけなかった


良く働き、良く耐えた。どんなに厭な事でも、うなり声を上げながら、さらに無理した。それはまるで、仕事をしないと駄目だから、贅沢言うな、と自分で自分に言い聞かせながら、病気でも貧血でも出血していても、とにかくソレを圧して働いたから、最後に身体的に無理をし過ぎて、インフルエンザに罹患りかんした。とうとう倒れちゃった、っていう感じ。

困った時に頼れる人は他に居ない。たすけを求めても、誰も返事もしない事は、既に親が死ぬ前から分かっていたから、自分の本能を信じて、頑張っていたつもり。今年は、頭に
「自分がもう無理できない」
と云う事を叩き込んだ一年だ。

「死ぬ程、働きたいなら、体調を整える事だ、早く寝ろ」

と亡父の声がした。

インフルのせいで気管支喘息が悪化して喘息性肺炎の寸前になり(コロナじゃないので念の為)、病院に何度も通い、処方箋何日も休み、給与にさえも大きな影響が出た、それは痛いアドバイスだった。実際、気持ち的には凄く焦ってはいるけど、好いお休みになった。リラックスし、回復感がある。確かに痛いアドバイスだからこそ、もう最近は11時半超えると寝なきゃ、になる。年も取ってるワケだし、無理はもう出来ない。特に翌日が早い仕事はもう「食べる」より「寝る」がプライオリティ高い感じ💦

今回、10月に、PJスケジュールが凄くギリギリになり、インフル罹患を知らずに、と言うより受け入れられずに土曜・日曜もサービスで働いていた。体熱は40度を超え、熱が高過ぎて目が失明する危険さえ有った程、ぶっ倒れるまで、無理を重ねた。救急車に乗り込む寸前まで、私には意識があった。よろめきながら看護士に支えられて救急車に入った。

神様が、亡父の声で私に囁いた。

「もう無理するな。寝ていろ。お前は今、病人だ。目を閉じろ。落着け。疲れが取れれば治る。さぁ、寝ろ」

その声が聞こえた時、力が抜けて行った。
車内で私の世話をしていた男性の看護士が、さらに高い声で運転手に連絡を入れた。
体熱テンプ、39.8℃…。パルス、93…、血圧ビー・ピー、上が230、下が83…、大変だ。
…、意識混濁。CHACHAさん、CHACHAさん、聴こえるかな。CHACHAさ~ん、大変だ、急いでください」
と大声で言っていた。ふと気が付いたら同じ看護師が
「CHACHAさ~ん」
と大声で私を呼びながら、肩をゆすって胸を叩いて指先で鎖骨をゴリゴリこすっていた。

急に其処ら中に車をガクンガクンぶつけながら、搬送スピードが上がったのを体で憶えている。知らぬ間に注射を両腕に打たれ、そこらじゅう血が付いていたようで、身体が震えていた。

無線で話している医師の声が許可をあげた。看護師が私に話しかけながら、私の腕と手首にさらに数本、注射を打った。
目を閉じてるのに涙が絶え間なく出て、瞳が痛かった。あの時、あと少し熱が出ていたら、眼底爆発で私は失明していたそうだ。👀💦

今年は亡父と亡母の事をよく考えた。
それだけ心身共に参っていたんだと思う。
インフルで倒れた際、私は金など持っていなかったので、この時点で休むのかと思った自分に対して、心の中でとてもがっかりした。帰りにタクシー代しかなかった。湾岸戦争の代わりにウクライナとロシアの戦争とイスラエルの戦争が重なり、原料不足で処方箋も貰えず、自分が咳の薬を薬局で買おうにもお金はなかった。

最近、薬局を訪ねたら、戦争のせいでインフルの薬剤は製造不可状態だそう。10月当時でも薬が見つからなかった。悲しみつつ祈っていたら、神は居るもので、昔から持っていた薬を呑み続けていたら、翌週には、熱が落ちたが、肺炎になりそうだった位、咳が悪化した。

インフル治療を受けて38度まで熱が下がり、暫く安静にしている指示を受け(体調悪くて安静以外出来ない状況)、帰宅後、夜半に熱が再度上がった時、最高で39.5℃くらいまで上がった気がする。だが、目の痛みはなく、頭が痛かった。辛くて、背中や筋肉が痛くて、寝ていても母の事を呼ぶ自分の声で目が覚めて泣いたり、熱にうなされて、目が覚めては、さめざめと泣いていた。

あの時は谷底の様な気分。落ち込んでいた。PJスケジュールも遅くなったし、何しろ熱がすぐ下がらず、一人ぽっちで寝たり、一人ぽっちで暮らしていて、寂しいのと、好き彼に逢いたいのとで、落ち込み方が並じゃなかった。

ふと気が付くと、5月末に引き渡されて飼い始めた元野良の保護猫🐈‍⬛くぅ🐈‍⬛が真面目な瞳で私をジィっと見つめていた。魘されては目を覚ますと、彼の左前脚は私の心臓の上に置かれ、身体に顔を付けて夜通し、看病で私に付いてくれていた。夜中にトイレに立つと、道案内した。

でも、朝方にあまりに人恋しくて泣いていたら、おもむろに立ち上がり、私の頬の涙を舐めてから、毛布に潜って、自分の大きな温かい身体を横向きに寝て耐えていた私の冷え切った背中に張り付けた。

にゃあ、と一声鳴いて、後は息遣いを私に合わせて、一緒に眠った。妙に温かい身体のぬくもりにリラックスして、その後はよく眠った。
前の猫は私の腕の中でよく寝たが、ウチの黒猫は彼のサイズで言うとほぼ2倍にデッカイ為(笑)、🐈‍⬛‍くぅ🐈‍⬛本猫は私の脚元でとぐろを巻いて寝ていた。
魘されると心配して、耳元ににゃあ、と私を呼んで起こしてくれた。
「マミィ、大丈夫?」
ってね。かわゆい奴。

猫が傍で寝ると、何故か、咳も出なかった。翌朝、37度余まで、熱が下がった時、やっと眩暈なしで起き上げれた。この猫が横についていて熱を癒してくれた、と感じたものだ。黒豹にそっくりの野性的な顔で「睨む」しか出来ない🐈‍⬛‍くぅ🐈‍⬛ちゃんだが、妙に心が優しいところが有る💚

5月末に飼育を始めてから懐き過ぎずに少し前の猫より距離があり、他人行儀だなと思っていたこの猫は、私がこの子を必要としているとわかったのか、完全に私のベッドで一緒に寝起きをし始めた。寝る頃になると鳴き声を上げて、
「もう寝ようよぉ」
と話をしに来る。朝には、
「おはよう」
のご挨拶がある。

今年はウチのにゃんにも、新たな飼育主の私と、私のつけた名前で一緒に猫生を始めた。NPOの奥さんは、古い名前で呼び続けるので、止めて欲しいところだが、このインフルを含めて、私には個人的に色々な意味で発見と反省と振り返りがあり、猫についても新たに学ぶ彼の個性(前猫と比べてしまい、毎日謝っているが💦) と新たな一年目の扉がすぐそこだ。丁度飼育半年を超えたところで、やっと慣れてきた感じだろう。

来年の目標

身体と脳に負荷を架けない   

●病気に罹らないような身体になるべく、運動しよう(負傷したせいでもう走れないってのがつらいけど➡昔は日に7㎞走行、レース中に負傷して走行不可なう…サイテー😭)
   ●何事も無理をしない様にしよう (体調を整えよう)
   ●気に病まない(脳天気になる)
   ●処方にのっとり薬を呑み過ぎない(薬は呑めばいいモノではありましぇん)
仕事
    ●学び (スキルを増やそう)
    ●副職への学び(今、一つ検討中)
     ●資格勉強(インフルの為に試験日をスキップ、スケジュール調整中)
猫飼育
     ●結構、自分の都合で猫生を振り廻しがちなので、安心させねば、と思っていたりする。

来年も頑張るどん💚



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