こんな便利な時代だから、あえて手紙を書きたい
年末からちょこちょこ実家に帰っては親の荷物の片付けをし、年始は重い腰を上げて自分のものの片付けをいつもより深めにしていた。
そして今日、しばらく開けたことがなかった大きなダンボールが目の前にあり、どういう気の迷いか手をかけてしまった。
中には手紙がパンパンに詰まった箱がいくつもいくつも入っていて、当然片付けをしていたことなんて完全に忘れて、むさぼるように読みふけった。
私が1歳の時にスタートした大好きな祖父母からもらったたわいもない手紙。
幼稚園児の頃から始まった従姉妹たちのとの可愛いさ満点のお手紙というか絵手紙。チラシの裏に描かれたりしていて、時代を感じる。
中高時代の恥ずかしエピソード満載の手紙たちは絶対に掘り返してはならない墓場行き。部活を引退するときにもらったザ・青春の手紙。仲良しの女の子たちからの恋愛悩みの相談メモ。(同じ男の子を好きな友達に挟まれてたな、とか、思い出した。)それにしても可愛いメモ帳がたくさんあって、キャラクタービジネスはそれはそれは盛り上がっていたわけだと今更ながら納得したりして。
ホームステイをした、Helenとその家族と隣人のおじいさんとの手紙もたくさん出てきた。隣人のおじいさんは数年前、お父さんは昨年お亡くなりになったのだけど、2人には亡くなる直前にメールを送って読んでもらったくらい、親しい関係だった。けど、実際に会ったのは高校の3週間と大学の1ヶ月間だけで、後は手紙だけの関係だった。手紙の力ってすごいなと思う。
その後は一気に内容が大人になって。進路、恋愛、結婚、病気、、、。
大学のゼミ友、ドイチェ時代の同期、ニューヨークで出会ったかけがえのないガールズ、大体一つの時代に1人深く付き合った女友達がいて、そんな子たちとの悲喜交々の手紙たちを発掘してしながら、うなってしまった。
嬉しくなったり、ドキドキしたり、切なくなったり、とは言え、この頃からもうお互いに何も変わってないのかななんて思いながら、すごく会いたくなった。
驚いたのは、1人暮らしを始めてから、ニューヨークに行き、結婚する頃までにとにかく実家の父母と妹からそれはそれはたくさんの手紙をもらっていたのだ。そしてそれをすっかり忘れていた自分に失望した。
そこそこ筆まめではあるので、もちろん返事をしてるはずなのだけど、まるで記憶にない。
そこには、とてつもない愛情が込められていたというのに。
そしてメールの時代になり、SNSになり、私の手元に届く手紙もすっかりなくなっている。(私も書かないので当たり前だ。)
メールやSNSは手軽だし、後から検索もできてしまうという優れもの。私はこんな便利にものはないと公私ともにコミュニケーション多目に使いまくっているのだけど、振り返ってみて、この手紙たちを超えるエモいメッセージがあっただろうか、と思う。
今の時代に送り合うメッセージはいつ誰に読まれるか分からないとか、本人にもイージーに読み返されてしまうかもしれないリスクに晒されてる。仕事には最高だけど、何か想いを伝えるにはリスクが伴い、結局本音の本音は込められない。特に相手の幸せを祈ったり、心配したり、、、そんなことを、今みんなどうやって伝えてるんだろう。
本音と言えば、飲みすぎてうっかり送った後で翌朝消せなくて恥ずかしいやつとかはあるにはあるけれど、何というかそういう瞬発的なものではない気持ちって、今は自分でも気づかないうちに流してしまって消滅させてしまっているような気がしている。
もう時代が違うので、こんなことを言う私って、旧タイプなんだなとつくづく思うのだけど、とにかく私は手紙の文化はとても好きだったし、この10年くらい怠っていたことを、今とてももったいなく感じている。
こんな便利な時代だから、あえて手紙を書きたい。
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