ありがとう
今年も終わりが近づいてきました。ここ最近なんだかとっても疲れていて自分が自分ではないみたいになっていて。
SNSに書くのもなんだかなぁと思ったりしましたが、たまたま同級生で同じ状況の子がいるのを読んで、私も一度全部言葉にしてみようかなと思っています。
今月父が旅立ちました。
生まれてから39年。
一番つらい一ヶ月でした。
昨年の夏にガンが発覚。ステージ3の何とかで、手術ができない状況でした。入院し、抗がん剤と放射線治療。とにかく本やネットで調べたり、医者の友達に聞いたり、何とかいい病院、いい先生に会えないか奔走しました。不安で妹とセカンドオピニオンをいくつも聞きに行きました。
たまたま母が腰骨を骨折して入院した時期と重なり、別々の病院に入院する父母と、舞台出演の娘2人を抱え、妹も妊婦でリスクがあるかも、という状況で、もちろんワンオペで、結構ギリギリ。。。
母も退院し、父の治療も一旦終えた冬、妹が結婚式を挙げました。バージンロードをしっかり歩く父を見たのが、本当につい昨日のことのように思えます。
そして、その数週間後、ガンが再び大きくなりはじめておりステージ4になっていました。そしてこれ以上の治療が難しいことも分かりました。
それから1週間。
お気に入りのマンションからの引っ越しを決め、大好きだった会社も退職することにしました。
家の売却、新しい家探し、退職に向けたお仕事まとめ、子供たちの転校・卒園・入学、習い事、転職、、、目の回るような日々が過ぎ、春を迎えました。
父母の家からたった3分。いつでも孫の顔を見せられるし、私も見に行ける。病院にも付き添ってあげられるし、最良の選択をしたと思っていました。
しかし、その頃から始まっていた副作用との戦い。当時は気がつけなかった。いつも穏やかで優しかった父は、気が短くなって娘たちを無意味にしかったり、私達を困らせるようなおかしな言動をするようになりました。日々、父を支える母からのメッセージと週末の姿を見ていると、少しずつ違和感のあることが増えてきていました。
そして夏、明らかに認知症かと思える言動が増えてきました。病院に行っても薬の副作用の可能性があるから認知症の診断はまだできない。介護認定もちゃんとおりない。とにかく何の治療もないのに毎月MRIやら検査・診察をいれられて、大量に渡される薬。先生に聞いてもはっきりしたことを何も教えてもらえない。肺だけでなく、いろいろなところに父が苦しむ症状が出てきていました。
秋になり、急に父の調子が悪くなることが増え、ぼーっとしたり、文字が書けなくなったり、歩くのが困難になったり、転んで大怪我をしたり、、、、とにかくそこからが大変だった。いつ勝手に歩いて転ぶか分からないので、妹が平日、私が土日泊まるようになりました。とにかくとにかく眠れない日々でした。
後で考えると、既に歩いたりできる状況ではなかったし、もう末期だったんだと思います。ただ、父はぼーっとしていないときは比較的私とは普通に話をし、歩き、トイレに行き、、、でも突然認知症のようになる。母も妹も私も寝不足が半端なく、父に優しくできないこともありました。
しんどさが半端なく、家族揃って情緒不安定ぎりぎりのラインで、何とか私はしっかりしなきゃ!!!と涙をこらえる日々。
そんな中、ようやく介護認定がおりました。でも、もう歩けないし、トイレも難しいし、ぼーっとしている時間がかなり長くなっていました。
そんなとき、母が前から気になっていたという地域の訪問医療の病院に変更し、訪問医療を受けることになりました。そこで言われた衝撃の言葉、、、「年内難しいかもしれません、、、。」
頭が真っ白になり、ぶるぶる震えるし、言葉通り立っていられずに座り込んでしまった。
頭の中をいろんなことが走馬灯のように駆け巡ってた。
あとどのくらいなの???
どうしたらいいの???
何が父の幸せなのか???
どうしたら苦しまないでいさせてあげられるの???
それから、訪問医療の終末期専門の先生と看護師の方と介護士の方が日々来てくださることになりました。
24時間365日いつでも電話していい安心感。
電話すると1時間できてくださる看護師の方々。
いつも何よりも父の身体と心を優先し、優しく誠意を持って接してくださる姿。
来た後はいつも私達家族の心のケアをしてくださり、励ましとアドバイスを頂きました。
なぜだか疲れ果てていたはずの私達はとてつもないパワーを得て、それからあれやこれやとしながら、前向きになれた気がします。
そこからの2ヶ月、迫ってくる辛い時に徐々に近づいていることが分かっていたのに、なぜかいつも落ち着いた気持ちでいて、笑顔で、励まし続けることができました。支えてくださった看護師・介護士の方々のおかげでした。
そしてあと数日と言われてからのある日のこと。
亡くなる10日ほど前に急遽危篤状態に陥いりました。そのときに、家族や娘たちが話しかけ続けたり、歌ったりしていたら、急に血圧が元に戻り始めました。
認知症が相当進行し、意識がなくなっていたのに、そこから10日は常に意識がはっきりしていて、話せないまでもコミュニケーションをとることができました。
身振り手振りで会話をしながら、「がんばりなさい」とか「無理するな」とか一生懸命伝えてくれました。
私たちもその期間、毎日交代で寝ながらずっと一緒にいられて、今までの感謝の気持ち、謝りたいこと、全部全部話すことができ、父も微笑んだり、涙をつーっと流しながら聞いてくれていました。
そして最期となった日、12月とは思えないとても暖かかった日。私が家に着き、娘たちが学校から帰り、父の兄弟が揃ったところで、家族に囲まれて、最期に大きな大きな深呼吸をして、言葉通り眠るように旅立ちました。笑っているようでした。
最期の時も看護師さんがずっと一緒に何時間もいてくれて、そのときを一緒に迎えてくれ、どれだけ心強かったことか。
お医者さんも他の看護師さんも更に2人も駆けつけてくださり、介護士さんも挨拶がしたいときてくださり、私たち家族一人ひとりに言葉をかけ、励ましてくださりました。
一緒に頭を洗って、身体を拭いて、髭を剃り、久々の洋服を着せて、、、一つ一つの作業を一緒にやることで、私たち家族がなんとも言えず癒やされていくのをただただ感じていました。
これほどまでに感謝の気持ちを伝えることができる場を与えてもらえるとは思ってなかったし、驚きでした。
それからは怒涛の嵐のようなスケジュール。
ようやく落ち着いた頃に、仕事に戻りました。元気に頑張れていると思っていたし、思っているのですが、やっぱり心がついていけていない部分があるみたいで、、、父の遺品を整理していることがあってなのか、ここ最近はとてつもなく疲れてしまっているみたい。
周りの皆さんに迷惑をかけたくないけれど、どうしようもないことってあるんだなとただただその状況を受け入れています。今はまだ立ち直れているとは到底言える状況ではないけれど、父の遺志を心に、がんばらなきゃなと思っています。
『人に優しくしなさい。
強くなりなさい。
頑張りなさい。でも頑張りすぎてはだめ。
自分自身を大切にしなさい。
子供には愛情としつけを。姉妹を平等に。
大切な人をちゃんと大切に。
いつかできるのいつかは来ないかもしれない。
今を精一杯生きなさい。』
お父さん、ありがとう。
私は良い娘だったのでしょうか。
親孝行できていたとは思えない。
怒ったり冷たくしたこともあったよね。
なんでいつもどんなときも優しくしきれなかったのかな。
小さいときたくさん遊んでくれてありがとう。
大切な局面でいつもアドバイスやお手紙をくれてありがとう。
自分が一番つらいのに、励ましてくれてありがとう。
最期に話す時間をたくさんくれてありがとう。
次は私が子どもに捧げる番だね。
育ててくれて、愛してくれて、ありがとう。
お父さんの子どもに生まれて良かったです。
大好きです。
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