見出し画像

西川美和さん×葛西薫 トークイベント

こんにちは、コハラです。

2021年9月8日(水)から10月23日(土)まで開催された、ギンザ・グラフィック・ギャラリー第384回企画展「葛西薫展 NOSTALGIA」。サン・アドのアートディレクター、葛西薫の約30年ぶりの個展ということで、新作の他にもブックデザインやプロダクト、オブジェなどこれまでの幅広い創作活動がうかがえる、渾身の展示となっていました。私自身3回ほど足を運びましたが、毎回新鮮な発見がある刺激的な展示でした。

画像1

画像2

画像3

会期中には、特別なゲストをお招きしてのトークイベントも開催されました。第一回目は上田義彦さん(写真家)×皆川明さん(ファッションデザイナー)×葛西薫、そして第二回目は西川美和さん(映画監督)×葛西薫。今回は第二回目の、西川美和さんと葛西薫のトークイベントの一部を、対談記事としてみなさまにお届けいたします。

『NOSTALGIA』

画像15

葛西 トークの最初に、なぜ西川さんに話の相手をお願いしたいかということから話すことがいいのだろうなと。西川さんは是枝裕和さんの下についたのが、仕事としてのスタートになるのかな。是枝さんが監督として『幻の光』という映画を作ることになって、そのときに僕がデザイナーという立場で参加することができて、その後に何かと是枝さんとの縁が続き、いくつかの仕事をしているうちに西川さんとも縁が深くなってきて、最近では伊藤忠商事のコマーシャルを西川さんが演出で一緒にさせてもらったりして。

西川 そうですね。

葛西 西川さんの書く文章を読むと、「自分とはどういう人間なんだろう」というようなことを西川さんは考えられたりすることが多い印象で、正直なところ晴れ晴れとはしてないなと。僕自身も自分のことがよく分からないところがあって、人には表と裏があったり、明と暗があったり、光と闇があるとしたら西川さんは両方、特にマイナス部分がある、マイナーな部分。僕も実はマイナーな部分にものすごく感じることがあって、この『NOSTALGIA』っていうタイトルを付けたこの展覧会のお話をする相手として、西川さんにお声がけしました。

西川 葛西さんにそういうふうに言っていただいてお声がけいただくとは。意外なようだけれども、いまのお話を聞くとそうかもしれないと思うところがありますね。

画像15


葛西 西川さんが『NOSTALGIA』という言葉からなにか思うことはありますか?

西川 最初に思い浮かぶのはタルコフスキーの映画のタイトルですけれど、『NOSTALGIA』というものって、私がものをつくる時いつも自分の中にこびりついて、いつの間にかにじみ出てているものという感じがします。葛西さんのお仕事はたくさん拝見してきたけれども、いつもどこかに懐かしさや、過去に対するこだわりを感じます。それが多くの人にとっても懐かしさであったり、自分にとっての執着というものに通じてくるのが葛西さんの作風なのかなあと、僭越ながら思っています。

葛西 本当に恥ずかしいんですけれども、高校出るぐらいまでの記憶にずっと縛られていて、仕事をする上でも何かヒントを得ようとすると、ついその頃のことが頭をもたげてきて、物心ついた頃のものに支配されている感じがしています。仕事をしていると、これからのデザインはどうかとか、はやりは何かという話が出てくることもあるのだけれど、それが僕は一番苦手で、なるべくそこに触りたくないんですよ。これが新しいのかとか、これから世の中はどうなるんだみたいな話題がよく分からず、何とかそこから避けようとしているところがあるかもしれないですね。そこさえ避けてれば何とかなるかもな、と。

画像15

西川 葛西さんは穏やかに見えて、一緒にお仕事をしてみると意外とおなかの内側では、そんなことくだらないとかいろいろ思っているんだなということが分かってきたことが、私はすごく面白かったんですけれど。

葛西 僕は普段いろんなことに抑圧されてないふりをしていて、実はいろんな不満が渦巻いていて腹が立つことだらけで、そのときに相手とニコニコ喋っているんだけど、心の中では鎖鎌をぶんぶん回して、まわり半径3メートル以内ぐらいは全部ズタズタにしてやるみたいな、そういうイメージは頭の中にあるけども、一応そのふりは見せない。

西川 見えないですよね、そういうふうに思っていると。でも、それを聞いて私たちもすごく安心して、葛西さんも心の中で鎖鎌を回しているんだから、私たちも頑張ろうというふうに思いました。

葛西 ハハハ、ありがとうございます。

その場で生まれていくアイデアをもとに

葛西 僕自身は視覚表現をする人間と思っていて、言葉にできないことを絵にするということかもしれないんですけども、西川さんは映画という職業を選んでいて、視覚と言葉との関係で言えば、言葉のほうが先の人なんですかね。

西川 私は圧倒的に言葉の人間だと思うんですよね。映画を作るにあたって物語を書いていくのも言葉の組み立てから始まりますので。だから葛西さんの映像作品を見ると、どうプランニングをして完成させていったのかということが想像つかなくて。ぜひきょう聞いてみたいなと思って来たんですけれども、ユナイテッドアローズのトッカフォンドさんのアニメーション。どのようにああいったものが出来上がるんだろうと。

画像15

葛西 商品をしっかり見せる必要はまったくないから、何らかのものを描いてくださいという話だったんです。ユナイテッドアローズは洋服を売るお店ではあるけれども、その服を着たときに、あるいは買い物をした後に、日々の喜びや人生の喜びを感じてもらえれば本当はいいんです、と。この絵を描いたトッカフォンドという人は、イタリアの歴史を全部背負っているような、イタリア特有の暗さを思わせるような、カラフルだけど、どこか悲しさがあるんです。いつかこの人と何かできたらなと思っているところにユナイテッドアローズから依頼がありまして、もし僕がトッカフォンドだったらこんなことを考えるだろうなということをイメージしながらコンテを詰めていったんです。

西川 じゃあ、コンテは葛西さんの中で。

葛西 ええ。ある程度できていて、クライアントからはゴーサインも出てご本人に会いに行って、あなたとやりたいんだという話をしたときに、ものすごく喜んでくれて。そのときにトッカフォンドが「僕はファッションってまるで分からない、かっこいいということも全然、分からない。そもそも人間というのはかっこ悪いよね。」という話をしたんです。「人間って情けないよね。」という、そういうことを描くのだったら一緒にできるぞと。そういう彼の言葉に力を得て、アイデアを出し合いながら。あとは、ウーロン茶の仕事でずっとご一緒していた中川俊郎さんに、ぜひユナイテッドアローズのために曲を作ってほしいとお願いをしたら、それはそれは素晴らしいメロディができてきて、その音楽を聴きながらトッカフォンドも絵を描くというような、いい感じでいろんなことが同時進行していったんですよね。

画像15

西川 その場で生まれていくアイデアというものを採用されていったんですね。

葛西 そうです。一つできるとそれを手がかりにして次のアイデアが生まれて、そこにコピーライターの一倉宏さんに参加してもらったんですけども、『ココロニウタヲ』という言葉ができたら、そこからまた次へというふうに広がっていく。ゴールは見えないんだけれど無理をせずに流れのままに。

西川 その作り方を良しとされたユナイテッドアローズさんも、すごくいいなというふうに思います。

葛西 そうですよね。だから、要するにみんなで一緒に作ったということになるんですよね。

西川 それは楽しい。

葛西 楽しいんですよ。見合うんじゃなくて、同じ方向を見るということができたときに、そういうものが生まれますよね。

人という生物はどこまでできるんだろう

葛西 西川さんが映画を作るとき、こういう映画にしたいという筋道みたいなものはあるんですか?

画像15

西川 映画も100年以上の歴史がありまして、その上でまだ新しいものを作っていくって何なのだろうなということを、本数を重ねるごとに考えるようになるんですけれど。最初は憧れてきた映画のようなものを作りたいなというところから当然スタートしていくんですけれど、続けていくとその気持ちだけではやっていけなくて。今は誰もが知っているようで、実はよく知らないようなことを微細に見つめたものを作りたいというふうに思うようになっています。

葛西 なるほど、よく分かります。

西川 そんなに派手ではないかもしれないけど、何かを見つめるきっかけになるようなもの、糸口みたいなものを作ってみたいという感じがするんですよね。ただ、実は着地点が最初から見えているわけではなくて、このネタをつかまえたら自分自身も知らないところに行けるんじゃないかなというものを、年数かけて研究したりしながら作っていくので、最初からこういうものを世間に投げかけて、こういう気持ちになってもらいたいというのがあるわけではないんですよね。だから本当に暗中模索の日々で非常に不安です、毎日が。

画像15


葛西 今回個展をやるという事になり、この白い箱の中で自分は何をしたいんだということを自分に問い合わせることからスタートしたんです。きっかけが欲しいから、昔書いたメモ帳とかいろいろひっくり返したりして、わらをもつかむ感じで自分探し的なことをやるわけです。で、一回紙の上になにかを描いてしまうとそこにとらわれるんですよ、いい意味でも悪い意味でも。その結果、次が生まれるということになり、離れられなくなってくる。そういう感じで2年間が過ぎたら、会場の設営が終わったときに、これ以上でも以下でもない自分がそこにいるわけです。そういう感じは、もしかしたら映画がゼロからスタートして出来上がった瞬間までの流れと共通しているところもあるかもな、とか。

西川 そうですね。だから、私はきょうギャラリーに来て、こんなにたくさんの創作物がどんどん湯水のように葛西さんの中にはあったからこういう個展が開けるんだって思ったけれども、話をうかがったら個展のために準備をされたと。

葛西 そうです。湯水のようには全然出なくて、体のどこか奥のほうに沈殿しているものがあって。それをまず探すことから始まって、それこそチューブを絞り出すようにまだ出るかみたいな感じで、ようやく出たというか、出したといいますか、そういう感じです。

西川 意外ですね。聞いてみないと分からないなと一番思ったのがそれでした。

葛西 もう一つ頭の中でイメージするのは、人という生物はどこまでできるんだろうということもあって。例えば1本の線でもいいし何かに夢中になった結果、何が起こるんだろうとか、人間の能力ってどこまであるのかなということにもちょっと興味があって。何かに着手してどんどん深入りしていったときに、人間はこんなことをやるんだなと。冷めた目で見てはいないんだけれど、そういうものに付き合っているっていう気持ちもどっかありますね。

西川 ちょっとアスリートに近い気持ちなのかなというふうに想像しちゃったんですけれど。

葛西 試合しているみたいなもんですよ。相手は自分なはずなのに、こう出たらこういうふうに返さなきゃというような、それが絵の具であろうが、時間を相手にしてもそうかもしれないですけど、それが面白いところかもしれないですね。

西川 その善し悪しが本当に葛西さん本人にしか分からないことの連続じゃないですか。

葛西 良いか悪いかも分かんないですよね。大体、いつもY字路になるわけですよ。右に行くか左に行くかという時、目をつぶって右に行ったらまた分かれ道が来てっていうことを奥地へ入っていくように繰り返す感じで。でも、どの道を通っても結局同じ原っぱに出るんじゃないかなって気はしないでもないです。

デザイナーという職業を忘れてできたもの

画像15

葛西 とってもうれしかったのは、『ヒロシマ・アピールズ』というポスターができて、そのときに西川さんがこれを手に入れてくれて、しかもご自身の仕事場の壁に貼ってくれていたんですよね。

西川 これはフリーハンドで描かれているんですよね。たくさんの試作があったという課程を見せてもらったときにも、感動しましたね。

葛西 西川さんは広島出身ですけども、僕は広島出身でもない、そして戦争を経験したわけでもないんですけれども、今度の展覧会でもこのポスターを展示しようとは思ってたんですよ、いろんな仕事の過去の一部として。でも、何か同居させたくないと思っちゃったんです、他のポスターと。僕にとってこのポスターだけは特別過ぎて、これはこれだけであるべきだって思ってしまって。

西川 このデザインにはどういうプロセスで行きつかれたんですか?

画像15

葛西 とても晴れた日の終戦近く、あの頃の真夏の暑さということ、夏の光の直射日光のまぶしさということがまず頭に浮かんで。そしてB29が飛んでくるのを見たら、あれは何だろうと、当然上を見るという視線がある。とにかく空を見るということだけがあって、描いているうちに割と早くこのような絵柄にたどり着いてしまって。あとはデザイナーがポスターを作るという感覚ではなくて、ちゃんと人が亡くなるとか、戦争であるとか、悲劇であるとか、そういうことを意識するとデザイナーという職業を忘れたほうがいいだろうと。とにかく無心にその気持ちだけを思いながら描こうというふうに決めて、4日ぐらい毎晩描いて、何枚も。そうしたらいくら描いてもほぼこの絵になるんですよね。書道ってきっとこういう感じなんだろうなって。

西川 『HIROSHIMA APPEALS 2013』という文字がないと一瞬なんの絵だかが分からないけれども、そこの文字との組み合わせですごくいろんなことを想起して。

葛西 なるべく最小限の要素にして、作った人の感覚よりは見る人の感覚のほうが先にあって、そこで感じてくれればいいわけなので。まあ、でもすべての作るものというのはそういうことなのか、とかね。

小石を積み上げていくような日々

西川 先ほどうかがってそうだったんだと思ったのは、絵やイラストのスタートは設計図だったと。

葛西 そうです、設計図。それと小さい頃、ラジオを作ったり、模型を作ったり、そういう工作ばっかりしていたから、道具を使うのは大好きですね。製図機とか、三角定規とか、コンパスとか。それがないとやっていけないぐらいに好きだったですね。自分にとっての『NOSTALGIA』というのが、本当にささいな、あのときの焦げたにおいだとか、あのときのほこりであるとか、あのときの絵の具の硬さだとか、そういうまったく取るに足らないことで形作られていて、そのことに追随しているような、そういう思いが今回ありましたね。

画像15

西川 だけど不思議なのが、『NOSTALGIA』と言いつつも、懐古趣味とも違うなというふうに非常に思いました。どこかでやはり一番新しい気もするという。あとは、さっきから、ちらちら出ているけれども、何となく通底するわびしさみたいなものは。

葛西 わびしさ?

西川 そう。最初に展覧会のチラシを見せていただいたときに、旧ソビエトとか東欧とか、あっちのデザインにも通じるほの暗さといいますか、それの中にちょっとしたユーモアがあるという。

葛西 やり切れないのが好きなんですね。少しの演歌があり、少しの酒のにおいがあり、泣きたいけど泣くもんかというような少しのこらえている感情があり、それは本当に僕自身も。やっぱり人間は貧しいほうがいいって時々、思う。貧しいと、感覚が研ぎ澄まされるまでいかないにしても敏感になりますよね。うまく言えないんだけど、満たされないよさというのも変ですけども、西川さんもたぶん、満たされないよさがあるんではないかと。

西川 自分みたいな人間が満たされちゃうと、何かが失われちゃうんじゃないかなとは思いますね。

葛西 私にはこんな恐ろしいものが潜んでいるとか、西川さん、そこに対してよく書きますよね、そういうことを。でも西川さんは仕事を一緒にすると、社会的にきちんと礼儀正しくされるじゃないですか。そのギャップというか、本心というのか、それが見えるのが僕はうれしいんですよね。

西川 そうですね。逆境に立たされたときの葛西さんとのタッグの組み方は面白いですね。

葛西 だから、思わぬところで西川さんが共感してくれたり、喜んでくれたりするところに、分かっている人がいるなというか、何かを既に捕まえてしまっているんだろうなと思ったりするんですよね。

西川 いいえ、全然そんなことはないですけれど。なにか葛西さんのつくるものって、受け手からすると、本当にこれほどシンプルかつスタイリッシュなものってないんじゃないかと思うぐらい洗練されているけれど、実はあの内側にはすごく湿度があったり、日本的であったり、じめじめした昭和のにおいとか、そういうものへの志向や愛着がすごくあるんですよね。それが意外であり、かつ、実はスパイスなんだなという。

葛西 高校時代に「継続は力なり」とことあるごとに校長が言っていたんです。耳にタコができるくらいに。なので「『継続は力なり』ね。分かったよ。」なんて、分からないのに言ってたんです、みんな。

西川 ちょっとまだぴんとこないですよね。

葛西 20年くらい前にある高校の壁面デザインの仕事をしましてね。その時に一番に思い出したのはそれなんですよ、「継続は力なり」。確かに大人はいいこと言うなあと思って。それで世界のいろんな格言を集めて、それをラテン語で色地の上に色文字で載せるという壁面にしました。都立つばさ総合高等学校という学校なんですけどね。「すべて物事の始まりは小さい」という言葉もあって、それもいい言葉だなあ。

西川 いい言葉ですねえ、ちょっと勇気付けられるな。

葛西 ですから西川さんも、この先もぜひ狭い所を深く行ってほしいみたいな気持ちがある。でもたぶん、西川さんだからまたいろいろやるんでしょうね、楽しみにしています。

西川 いや、誰も関心ないんだろうな、私のやっているようなことには、と思いながら小石を積み上げていくような日々ですけどね。

葛西 みんな小石みたいなもんだから。

西川 そうですね。本当にきょうは葛西さんの解説入りで、ギャラリーで作品についての解説をいただいたりして、そうやってつくっていったんだってことがいくつか聞けたので、私はとても楽しかったです。

葛西 こちらこそ楽しかったです。とにかく見てもらえただけでもありがたいですよ、うれしいです。ありがとうございました。

西川 ありがとうございました。

画像15

コハラの編集後記
流れるようなお二人のお話しは聞いているだけでも心地がよく素敵なトークイベントでした。今回の個展開催までの2年はチューブを絞り出すように自分のやりたい事に向き合ったという葛西と、着地点が見えない中で年数をかけて映画を作る西川さん。長く一線で活躍しているお二人から語られた葛藤や不安は意外でもあり、勇気づけられるお話でもありました。そして、「見合うのではなく同じ方向を見るときにいいものが生まれる」というお話、「人という生物はどこまでできるんだろう」という自分への好奇心や探究心のようなものは私自身も仕事をする上で、生きていく上で取り入れていきたいと思いました。

画像15

西川美和
1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2002年に『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。続く長編作品に、『ゆれる』(06)、『ディア・ドクター』(09)、『夢売るふたり』(12)、『永い言い訳』(16)。佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした最新作『すばらしき世界』(2021年・主演:役所広司)は、シカゴ国際映画祭外国語映画部門観客賞など受賞。小説では、『ゆれる』『きのうの神様』『その日東京駅五時二十五分発』『永い言い訳』。エッセイに『映画にまつわるxについて』『遠きにありて』『スクリーンが待っている』などがある。
葛西薫
1949年北海道札幌市生まれ。1973年サン・アド入社。サントリーウーロン茶、ユナイテッドアローズ、とらや、TORAYA AN STANDなどの広告制作およびアートディレクションのほか、CI・サイン計画、映画・演劇のグラフィック、タイトルワーク、ブックデザインなど、活動は多岐にわたる。東京ADCグランプリ、原弘賞、毎日デザイン賞、亀倉雄策賞、などを受賞。


*サン・アドHP
https://sun-ad.co.jp/

TwitterFacebookのフォローもよろしくお願いいたします。

写真・上原勇 (サン・アド)
文・小原早織 (サン・アド)