学生スポーツ新聞記者としての日々#想像していなかった未来
はじめに
自分にとっての青春はいつか。そう聞かれたときに、学生スポーツ新聞記者として過ごした大学時代を真っ先に挙げる。すべてが順風満帆とは言えなかったが、自分なりに一生懸命動いて、充実した日々を送ることができた。
活動内容
新聞部では大学の体育部会を取材していた。部員にはそれぞれ担当部会が割り振られて、選手への取材と記事を書くのが主な流れ。
私は硬式野球、ラクロスなど合計5部会を割り振られて、学生スポーツ新聞記者としてスタートを切った。
苦悩の日々
最初は取材することがとても怖かった。
「変なことを言って相手に嫌な思いをさせないか」「相手に怒られるのではないか」とマイナス思考に陥るあまり、考えがまとまらずに的外れな質問をすることがあった。他にも録音忘れや取材日時を間違えるなど、先輩にたくさん迷惑をかけてしまった。それでも取材を重ねていくうちに、少しずつ活動に慣れてきた。順調かと思えた矢先に、部は最大の危機に直面することとなる。
変わるのが怖い自分
2年生になる直前に、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい始めた。部活動は大打撃を受けた。間近に控えていた新歓活動は全て白紙。取材予定だった公式戦は軒並み中止となった。幸い、先輩方の尽力でオンラインの特別企画が立案・遂行され、困難な状況を乗り切ることができた。
しかし、こんな時でも自信のなさは相変わらずだった。緊急事態に立ち向かうという意思よりも、取材活動がなくなって、失敗をしない・楽をできることが嬉しい気持ちが勝っていた。先輩や同級生の熱意に甘える自分が嫌で仕方なかった。しかし、ある出来事をきっかけに部活動に対する意識は大きく変わっていく。
一通のメール
同年秋ごろから公式戦の再開に伴い、対面取材が解禁されていった。
自分が担当していたラクロス部の取材に行った時のことだ。WEB記事を公開した翌日に、ラクロス部の選手の家族から一通のメールが届いたのだ。
『取材いただきありがとうございました。取材側も試合に入り込み、チーム一体となって勝利を目指してる感じが伝わってきました(意訳)』
このメールを読んだときの嬉しさは今でも忘れられない。これまでは自分の取材に対して自信が持てなかった。しかし、メールを送ってくださった方のように、スポーツ新聞部を応援・支えてくださる方の存在を改めて実感できたのだ。
選手の活躍を伝える
このメールをきっかけに、自分の部活動に対する意識が大きく変わることになった。自信のなさが急速に改善されたわけではない。それでも、「自分のやりかたで新聞部を盛り上げていきたい」というスタンスで取材活動に臨めるようになっていった。感染症対策による無観客試合が続く中で、「一人でも多くの読者や選手の家族、スポーツファンに少しでも選手の活躍を伝えたい」という思いが強まっていった。
特に注力するようになったのはSNSだ。これまでは試合結果だけを発信していた。より多くの人に活躍ぶりを知ってもらうために、選手の写真も試合と同時進行で投稿することを提案した。この案は採用され、新聞部の新たな方針となった。自ら意思を表示して、それが結果に繋がったことは生まれて初めての経験だった。遅れながらも、ようやくスポーツ新聞部の一員としての自覚が芽生えたのはこの時かもしれない。
記者としての日々を振り返って
こうして少しずつではあるが自信をつけていくことができた。
最後の年の自分は、1年生の時の自分からみると別人だと思う。各部のマネージャーさんや大会の運営担当者とこまめに連絡を取って取材を調整し、新聞製作では面担(紙面のデザインを立案する)を自分から希望して行うなど、僅かながらも自主的に行動できたと思っている。時には予想通りにいかないこともあったが、とても充実した日々を送ることができた。
さいごに
こうして、様々な困難に見舞われながらも、最後まで辞めることなく、学生スポーツ新聞記者としての活動を全うすることができた。
今はスポーツ新聞とは縁遠い職業に就いているが、学生スポーツ新聞記者として過ごした日々はかけがえのない思い出だ。
今でも失敗への恐怖は完全に克服できてはいない。それでも、困難な状況に陥った時も、まずは動くことから始めようという気持ちを培うことができた。学生スポーツ新聞記者として過ごした日々を忘れず、これからもまっすぐ生きていきたい。