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傘職人歴67年の匠に聞く
弊社の傘職人全員が心から信頼している師匠がいます。15歳で丁稚奉公で傘業界に入ってから、なんと67年間傘づくりに携わっている『匠』です。
今日は、匠の人生をみなさんと共有したいと思います。
匠の人生表
昭和30年(1955年)15歳の時、祖母の紹介で傘屋に5年間の丁稚奉公
昭和35年(1960年)20歳で独立。生地が裁断された後の傘を縫う仕事を17年間に渡り従事
昭和52年(1977年)傘の骨メーカーに就職。鹿児島工場に傘制作の指導にあたる。会社廃業と同時に傘の卸問屋に再就職し10年間勤めた後に、弊社に入社。現在は週に1度若手職人の指導や修理をメインにお世話になっています。
過酷な丁稚奉公時代
丁稚奉公の朝は早い。朝6時に起床し「湯のし(傘を仕上げる時に使う蒸気)」のための湯を練炭でわかることから始まります。ガスのない時代ですから、時間もかかったことでしょう。
「傘屋の12時宵の口」(宵の口:日が暮れて間もない頃)と言われるほど、傘屋の丁稚奉公は過酷だったといいます。当時のことを匠にたずねると、笑顔で
「5年の年季だと思って頑張った」
そう笑顔で当時を振り返ります。
昔の傘と今の傘の違い
当時はポリエステルなんてない時代です。傘の生地はすべて綿にノリを貼ったような生地で、安い傘(生地)ほどつくるのが難しかったと言います。
「安い生地の傘を湯のしすると、そのノリが熱で溶けてしまうんです。高い傘の生地はかたくて、それはそれで技術もいるし、今思えば大変だったね(笑)」
三角に裁断された生地を縫う「中縫い」。骨と「カバー」を縫い合わせる「中綴じ」ができた匠は、当時かなり稼げていたそう。
「大阪の傘は分業制で傘屋はより安い工賃で傘を縫える職人が欲しいんです。当時の私は技術はまだなかったけど、交渉して仕事をもらってました。お金を稼ぐことが目的だったけど、結果として技術向上にもつながったね」
「見て習う」が基本の時代。誰も教えてくれなかった
匠は誰に傘づくりをどんなふうに習得しのでしょうか。
「誰も教えてくれませんよ。『見習う』時代でね。どうしてもわからないところは丁稚奉公の親方に聞いてました」
丁稚奉公の親方も、自分が儲かるために教えるのであって、決して優しさで教えてくれたわけではなかったと言います。そんな厳しい時代ですから、たくさんの人がやめていったそうです。やめていく理由は厳しさだけではありません。傘は季節ものなので、ハイシーズンが過ぎると仕事がなくなり、収入が激変し、食べていけなくなるという理由からでした。そのような中で、匠はどうして続けられたのでしょう。
「10月頃に閑散期になる頃に輸出用の傘の仕事が入ってくるんです。私はその仕事があったんです。でも、輸出の傘は安いから、数で稼ぐしかない。当時、1ヶ月4000本の傘の加工をしてました。多い人は1万本くらいやってたんじゃないかな。技術のある職人は輸出の傘なんて作りたがらなくて、傘業界からどんどん去っていったんです」
当時、百貨店の1階の売り場は全部傘だったそう!つまり、傘が一番売れる商品だったということ。信じられます?今の傘売り場って1階でも端っこの小さなスペースに追いやられていますよね。。。もうそんな景色を見ることは、もうないのかもしれませんね。
傘の歴史を知り尽くしているから修理ができる
現在は、弊社で修理をメインにお世話になっています。
「修理は、傘をわかっていないとできないでしょう。新しい傘を作ることだけでなく、修理から教えられることはとても多いんです」
京都の『てづくり市』に自身がつくった傘をつくって販売しているという匠。傘づくりについてこだわりや技術を熱く語る匠。SUNの職人たちが苦労している『型だし』の秘訣を聞いてみると・・・。
「理屈じゃない。型(大きな三角定規のようなもの)のどこを削ったら深くなるか、浅くなるか、どんなふうになるか。勘を養うしかないんです」
失敗をたくさんすることが大事
勘を養うために必要なこと。それは「多くの失敗」だと匠は断言します。
「若い時にたくさん失敗すればいい。後になった失敗は怒られるから(笑)」
![](https://assets.st-note.com/img/1684204298597-flu5GHGaCN.jpg?width=1200)
見習い時代に誰からも教えてもらわなかった匠は、全て我流であり、それが正解かどうかは分からないと笑います。ただ、お客さまの要望を聞き、それを叶えられたらそれが正解だと信じていると言います。それが職人の仕事だと。傘の理屈を理解し、自身で経験を積むことで、勘を養い、職人として生きてきたと。
勘を養うためにどれくらいの年月が必要なのか聞いてみると意外な答えが。
「月謝を払うことですね(笑)。身銭をきったら本気になりますから、時間も短くてすむ。あとは経験を積むしかない」
それでも多くの職人は自分の技を若い人たちに教えたがりません。なぜ匠は、教えてくれるんでしょうか。
「若手の職人だけでなく、私のような職人も、求められていることは『時代にあった要求に応えられるかどうか』です。教えるとは思っていない。知りたい人がいれば、自分が伝えられることは伝えているだけ」
SUNの職場
SUNの職人たちは、とても穏やかで、決しておしゃべりではありません。
根気強く、忍耐強く、美意識が高く、淡々と傘を作る職人気質な人が多い気がします。毎日傘と向き合い、分からないことがあれば、一人で悩まず、相談できる先輩や匠がいます。
86歳の匠と、20代30代の職人が和気あいあいとした職場で、皆様の傘を作っています。
昔のような厳しい世界ではないですが「お客様に喜んでいただくものを」という職人が目指すものは変わっていません。
日本製の傘の良さ、また別の機会にお話ししたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
ごあんない
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