「幸せ」とは何か。と、日々考えるのです。
7年くらい前に先輩からいただいた、
置き型のサンキャッチャー。
とっても可愛いのですが、
私の住んでいるお部屋は、直射日光が入る時間が極端に少なく、
また、角度の関係で、吊るし型のサンキャッチャーでは、
全く光を受けられないんですよね。
では、置き型では?
と、色々探したのですが、
なかなか光を浴びられる場所が見つけられずに、
ここ数年はただの置物と化していたのですが、
半年前に思いっきり模様替えして、
作業用机の位置が大きく変わりました。
そうしたら!!
今まで、ありえなかった窓際の中間の位置に、
ちょうど、サンキャッチャーを置くのにベストな場所が、
自然にできていたのです。
今日、机で作業をしている時に、
ふと、部屋を見回すと、ところどころに虹が落ちてる。
ん?と思って、
その虹の発生源を探したら、
窓際に置いたクリスタルでした。
おぉ!クリスタル、めっちゃ光ってる!!!
と、思い、その隣にサンキャッチャーを置いてみたら、
机の目の前の壁が、虹だらけになりましたo(^▽^)o
最近、
「幸せ」って何だろう、と、
徒然考えることが増えました。
20代から30代の後半まで、
いやもう、本当に最近まで、
願い事といえば、
「経済的に落ち着くこと」
でした。
悩み事の大半はお金に関することで、
お金の悩みが解決できたら、
「安心安全に暮らすこと」
も
「精神的に安らいでいること」
も、解決されるような気がしていた。
でも、今、
その当時思い描いていた、
「経済的な大成功」
はしていないにも関わらず、
「安心安全な暮らし」
と
「精神的な安らぎ」
と
「圧倒的な幸福感」
が、あるんだよね。確かに。
おぉい、「経済的な成功」、どこいった!
何というか、
経済的な成功を置き去りにして、
願いが叶っちゃっているから、
「経済的な成功」、本当に要るか?
みたいな気分に半分なってきちゃっていたりする。
そもそも「経済的に落ち着く」って、
どういう状況を思い描いていたんだろう?
今、日々の中で「幸せだなぁ」と感じることが、
おそらく、何物にも代え難く、重要なことなんだ、
ということは、ひしひしとわかるのです。
これを見失うくらいならば、
他に何も欲してはいけないのではないか、
とすら思える。
でも、
お金ももうちょっと欲しいし、
日本のあちこち、とか
世界のあちこち、とか
色々旅行に行ってみたい。
でも、それが「幸せ」なのか?
というと、
違うと思う。
そもそも、「幸せ」は、状態であって、
モノでも行動でもないんじゃないか、と思う。
そうすると、
「幸せ」の条件がなくなっちゃうんですよ。
●●があったら幸せ、
●●ができたら幸せ、
ではない。
今、私が感じている「幸せ」の感覚って、
「ゼロ」なんですよ。多分。
「□□したいのに、できない!」
という、
欠乏や渇望の負の感情、
マイナスの振り幅が、
フッとなくなって、
0になった時に、
飢えや乾き、焦燥などの苦しい感情が無くなって、
自分を苦しめていた、苦しさの感覚が無くなる。
怖くない。苦しくない。
乾いていない、我慢していない。
特段、プラスのものがあるわけではないのに、
「ぴったり満ちている」
という感覚になるのは、
奇しくも「ゼロ」が「0」で「○」なのだ、
という、その感覚に似ている。
プラスじゃないのに満ちている。
きっと、「幸せ」は、
「満足」(満ちて足りている)の状態ではないんだろう、と、思う。
そもそも、「満ちる」のイメージが、
MAX HAPPY!
と、思っているのがちょっと違って、
MAX positive!(超ポジティブ)なんだと思う。
テレビの音量を調整するのに、
「幸せ」な音量は、
決して、「MAX(音量最大)」ではない。
自分の許容の器の中で、
その時、心地よいと感じる量。
それが、「幸せ」で、「ちょうどいい」「ゼロ」
なんだと思う。
持ちすぎも、持たなすぎも、
やりすぎも、やらなさすぎも、よくない。
じゃあ、
「欲」ってなに?
向上心は?成長欲求は?自己実現は?
なんて、休日の独り言は止まらないのでありました。
note継続チャレンジ 現在継続日数 54日